〔殿(との)さま〕栄五郎(4)
その夜。
半月は、ほとんど雲に隠れていた。
薬研堀不動前の料亭〔草加屋〕は、なぜか、早ばやと客が絶え、通いの女中、帳場、料理人、下男たちは五ッ(午後8時)には、それぞれの家へ帰っていった。
ちょうど、その時刻に、1筋西の寄合旗本・。村越頼母房成(ふさしげ 36歳 2500石)の表門へ3丁の町駕篭が入っていき、すぐに閉じられた。
小半刻(30分)もしないのに、脇の潜り戸から鼠色の盗み装束(おつとめぎ)の8人が辻番小屋のない道を料亭〔草加屋〕へ走り、鍵のかかってなかった大戸の脇口から侵入した。
酒を呑んでいた主人・安兵衛(やすべえ 48歳)、内風呂からあがったばかりで浴衣姿のままのお新(しん 33歳)それに〔草加屋〕で寝起きしていた女中頭・お琴(きん 38歳)がたちまち縛りあげられた。
裏庭の道具小屋で寝酒を喫していた岩造---じつは〔蓑火(みのひ)〕一味の岩次郎は抵抗したが、岩次郎だけに狙いをつけていた盗人の一人に、たちまち、棍棒で鳩尾を衝かれ、気絶してしまった。
賊たちは、店の有り金850両から、きっちり7分にあたる595両だけを奪って出ていった。
賊は、村越家の潜り戸から中へ入り、表門が開くと3丁の駕篭が出ていき、薬研堀の掘留で2人の客をおろし、そのまま新大橋のほうへ消えていった。
すべての木戸は、空の戻り駕篭ということで難なく通された。
降りた2人の客は、薬研堀の大川口に迎えにきていた舟に乗りこんだ。
いつもの袴姿の長谷川平蔵(へいぞう 31歳)と〔箱根屋〕の権七(ごんしち 44歳)であったことはいうまでもなかろう。
岩次郎を気絶させたのは平蔵であった。
もっと驚いたことに、薬研堀留の辻番小屋の前を2人が通りすぎるとき、火盗改メ・菅沼組の見廻りの同心が話しこんでおり、番人は2人の姿を見ていなかった。
また、〔草加屋〕へも服部儀十郎与力と同心2人、小者5人が入り、安兵衛夫妻の縄を解き、岩次郎と女中頭・お琴を引き立てていった。
そのとき、うまくしたもので、読みうり屋の〔耳より〕の紋次(もんじ 33歳)も随っており、訊き調べのいっさいを書きとり、2日後の読みうりで報じた。
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コメント
これはまた、思いきった盗法(?)の開発でした。
『鬼平犯科帳』にも書かれていない新機軸、恐れ入りました。
なるほど、{草加屋〕にもお粂にも損害と危害がおよばない危機管理の妙案ですね。
『新々鬼平犯科帳』の登場というべきか。
しかも、村越頼母房成(ふさしげ 36歳 2500石)という大身は、切絵図が掲出されているから、実在した仁なんですね。
ちゅうすけさんのことですから、年齢も性格も経歴も屋敷もすべて史実をおしらべになってのことと推察しています。
さらに、切絵図では、〔草加屋〕までの道筋に辻番所がないことにも気づかされました。
投稿: 文くばり丈太 | 2010.07.03 05:33
>文くばり丈太 さん
望外のお褒めのお言葉、恐縮至極です。
銕三郎時代から、文庫巻24のお夏に[誘拐]されたおまさの救出までを、史実と聖典をからみあわせながら創りつづけていますが、この一両日の村越頼母房成(ふさしげ)は、おっしゃるとおり、実在の旗本です。大名家の子として生まれながら、赤ん坊のときに村越家へ養子に出された人物です。
ちょっと変わり者---というより、収入が安定しているので、それなら城勤めよりも趣味に生きようと悟ったらしい人で、奇計などにもおもしろがって乗ってくれそうな仁と読みました。
こういう変わり者の幕臣を探すのも、ブログをつづけていく楽しみの一つです。
村越氏の場合は、静岡の〔鬼平クラス〕にたまたま村越姓の鬼平ファンがいらっしゃったので、幕臣の村越氏の資料も集めていたのです。
投稿: ちゅうすけ | 2010.07.03 07:56