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2010.07.22

藤次郎の初体験(2)

(とう)どの。その笛吹かせおんなだが、齢はいくつだ?」
「お佐和(さわ)は、母者より5歳若く、32歳とか---」
平蔵(へいぞう 31歳)の問いかけに、菅沼藤次郎(とうじろう 13歳)は、悪びれたふうもなく応えた。

「ふむ。そのおなご、いちど、嫁入りしたとか、申したな?」
「はい。3年ほどして出戻ってきました。なんでも、3年を経て子なきは去るとかいわれたと---」
「まさかに、どのの子は宿すまいが---」
「赤子をでございますか? 困ります」
「だから、そのおなごとの出事(でごと 体の交合)は、むやみに他人へ話すではないぞ。母ごどのにもだ。竹尾道場の仲間がそのような話をしていても、あくまで、知らない態(てい)をつづけよ。7000石の大身・菅沼家どのの人品にかかわることである」
「はい。でも、長谷川先生には、打ちあけてかまいませぬか?」

去年、藤次郎がおんなの乳房のことをおもうと股間が熱くなると訴えたとき、平蔵は、
(とう)どのに、男としての力がみなぎってきておるのだ。男としての力が満ちてくれば、剣も、さらに強くなる」
とはげました。
(6歳の辰蔵が、藤次郎のように13歳で、どこぞの後家に初穂をつまれたとき、冷静に、このような言葉が吐けるであろうか。そうおもうと、お芙佐(ふさ 25歳=当時)とのことに、ひと言もお触れにならかった父上は偉かった)

参照】2007年8月4日[銕三郎、脱皮] (

藤次郎が、どうしても話したがった。

昨日の午後のことであった。
小野派一刀流・竹尾道場から戻り、湯殿で水を浴びていると、湯文字ひとつで入ってきた佐和が、
「若。背中の垢こすりをいたしましょう」

背中がすむと、前をむかせて両腕の垢こすりをはじめたが、膝がしらを藤次郎の両股を割ってさしいれた。
その瞬間に湯文字がとけ、下半身もさらした。

膝がしらが触れているのと眼下に見える黒い部位の刺激で、藤次郎のものが挙立しはじめた。

伸ばして脇の下をこすられている藤次郎の指先が、佐和の乳頭にとどいたので、つまんだ。
すでに硬くなっていたが、藤次郎はその意味をまだしらない。

察した相手も、糠ぶくろで直立したものをしごくようにこすりおろし、表皮の先端がめくれた。
つい、1ヶ月前まで、先端はつまんでしばったように蓋っていたが、いまは、佐和とのことが数度かさなったので、半分ほど真新しい坊主頭あらわれていた。

その坊主頭の先端の割れ目から涙に似た透明な液がにじんできたのをたしかめたおんなは、先端を2本指ではさみ、あてがい、尻をおろした。
そこは待っていたようにしたたるほどに濡れており、藤次郎のものはするりとおさまった。
三角部位が密着したぶん、寝間での体位よりも深みへ達し、かすかな音をたてた。
耳にした佐和が満面に笑みをたたえた。
藤次郎のものが期待どおりに育ってきているといった風情であった。

佐和が湯桶の縁をつかんで躰を支えながら、ゆっくりと腰をゆさぶった。
目を閉じ、下唇を噛んでいた口が半びらき、
「殿。殿さま---あぁ---」

_200相手の尻部にまわしていた少年の腕が、一瞬ゆるんだが、昂ぶりにむかっていたおんなは気づかなかった。

「先生。佐和は通旅籠町の干物屋のむすめです。嫁に行った先も同業であったと聞いております」
「殿とは、お父上織部定庸 さだつね 享年35歳)さまのこととおもうのだな?」
「不孝者でしょうか?」
「暇をだせるか?」
「いま、しばらくは---」
「ならば、秘しておけ」
「はい」(栄泉『ひごずいき』部分)

夢幻のうちに洩らした失言を意識にとめなかったおんなは、起ちなおると、
「若。今宵もお楽しみにしていてくださりませ」
嫣然と流し目をくれ、濡れた湯文字を丸めてしぼり、股間をぬぐと浴衣をはおって出ていった。、

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097宣雄・宣以の友人」カテゴリの記事

コメント

ちゅうすけさんの指示により、[銕三郎、脱皮](2)をクリックしましたら、なんと、
父・宣雄の言葉が胸に突きささりました。

14歳の銕三郎が、東海道・三島宿で25歳の若後家お芙佐によって男になったことを、
「そのことは、父子といえども、あからさまにしてはならぬ男の子の秘事であろう」

おなじことは、女の子にもいえましょう。
「母子といえども、あからさまにしてはならぬ女の子の秘事であろう」

まさに、『古今名言集』に集録し、親たる者が心得て置くべき名言でした。
今朝は、なんだか、得した感じです。

投稿: 左兵衛佐 | 2010.07.22 06:04

>左兵衛佐 さん
「そのことは、父子といえども、あからさまにしてはならぬ男の子の秘事であろう」
この宣雄のセリフを、太作の口をとおして語らせたのは、丸3年前です。
1日も欠かさないでアップをつづけて5年経ちました。1日分がちょうど新聞小説の1日分から2日分ですから、文庫5冊分はゆうに書いた勘定です。
その中でも、この宣雄のセリフは、3年経っても忘れていません。
父親のおもいやりだとおもいます。
ぼくは、15歳の一人息子を失っていますから、余計に記憶に残っているのかもしれません。
お認めいただき、ありがとうございます、お言葉、心にしみました。

投稿: ちゅうすけ | 2010.07.22 11:52

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