川すじの元締衆(2)
「婆ぁさんが風邪で寝こんでおりやして、嫁は2人目の産み月が近いもんで、艶けしですが倅れを連れてめえりやした」
〔愛宕下(あたごした)〕の伸蔵(しんぞう 48歳)が息子の伸太郎(しんたろう 28歳)をうながして酌をさせた。
「元締のところの船宿は---?」
「高輪の大木戸の手前までで48軒でやす。雪洞(ぼんぼり)を乗っけてくれておりやすのが103艙になりやした」
(1艙に4張の雪洞を点すとして10日間のお披露目代が1朱(1万円)---103艙が1ヶ月だと19両1分(300万円ちょっと)。ぼんぼりの張替えや筆書き料や灯油代、若い者(の)への扱い手間賃を支払っても、月に6両(100万円)は残る)
ざっと算用してみた平蔵(へいぞう 33歳)は、商人の時代だと感じいったが、口ではにこやかに、
「結構、けっこう」
ぱっとひらめいたので、呼びかけた。
「〔音羽(おとわ)〕の元締さん---」
重右衛門(じゅうえもん 52歳)をはじめ、一同が平蔵を注視した。
船雪洞だが、お披露目主(おひろめぬし)が替っても、いちいち張り替えることはない。雪洞には白紙を張っておき、お披露目主の屋号やお披露目文句は、より薄手の雁皮(がんぴ)紙に筆書きしたのを重ねれば、張替え賃が助かる。
【ちゅうすけ注】『鬼平犯科帳』巻7[泥鰌の和助始末]p167 新装版p174 に、熱海・今井半太夫製の雁皮紙が登場している。
また、巻13[熱海みやげの宝物]p7 新装版p7には、熱海の本陣として今井半太夫が紹介されている。
雁皮(がんぴ)紙はもとより、灯油もみんなでまとめて問屋から仕入れることにすれば、安くあがろう。
「長谷川さまの末は、勘定ご奉行でやすな」
品川宿をとり仕切っている〔馬場(ばんば)〕の与左次(よさじ 53歳)がはやした。
「いや。勘定ご奉行は最後のひとしぽりまで絞りとるのがお仕事。長谷川さまのお知恵は、町ご奉行のものでやしょう」
〔黒舟〕の権七(ごんしち 47歳)が訂正し、みんながうなずいた。
宴が終わったのは六ッ半(午後7時)すぎで、あっというまの1刻(とき)半(3時間)であった。
みんな話したりなげな面持ちで、それぞれが黒舟に乗った。
近くの店で食事をすませていた供の若い者(の)たちも、船着きでそれぞれの元締の乗り舟に手を貸した。
舟着きで最後の1艙jまで見送った権七(ごんしち 47歳)と〔黒舟〕根宿(ねやど)女将・お琴(きん 34歳)にあいさつを交わした里貴(りき 34歳)は、あとを女中たちにまかせ、いそいで帰り支度をした。
藤ノ棚へ帰ってみると、平蔵は袴を脱いで腕まくらをしていた。
「待っていてくだされば、いっしょに帰れましたのに---」
「そうすると、元締衆に見え見えになる---」
こうなっても、世間体を気にしている平蔵が、ちょっとうらめしかったが気をとりなし、平蔵がいる夜だけの
腰丈の寝衣に着替えた。
季節からいうと、涼しすぎようが、部屋はお倉(くら 58歳)婆やが暖かくしてくれていた。
しかし、平蔵は起きてこなかった。
「どうかなさいましたか?」
「いささか、呑みすぎたようだ」
「ご気分がすぐれませぬか?」
「水がほしい」
真水を飲んでいる横で、脱ぎすててあった袴を手早くたたみ、脇になおしながら、
「〔銀波楼〕の千浪(ちなみ 39歳)女将は、かしこい方ですね」
「なにか、いわれたのか?」
「そうではなくて、8歳も齢下の今助(いますけ 31歳)元締の手綱(たづな)を、それはみごとにおさばきになっていらっしゃいました」
「千浪は、苦労人なのだ」
やっと里貴のはだけた胸元に両眸(りょうめ)を移した。
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コメント
熱海の今井半太夫って、実際にいた人、あるいはブランド名だったんですね。
投稿: 文くばり丈太 | 2010.11.27 05:56
>文くばりの丈太 さん
そうなんです。『江戸買物独案内』に載っています。池波さんも、これを目にとめたのでしょう。
『独案内』に名前が出ている日本橋の榛原さんで訊いたら、いまは熱海からでなく、土佐のほうから仕入れているとのことでした。
投稿: ちゅうすけ | 2010.11.27 07:14