〔黒舟〕の女将・お艶(えん)(2)
「うちの旦那の好みも変わっていて、黒豆みたいな双眸(ひとみ)のおんなをみると、手放(てばな)せなくおなりなんですから---」
〔季四〕の隣りの船宿〔黒舟〕根宿(ねやど)店の女将・お琴(きん 34歳)が不服そうに愚痴た。
黒豆みたいな双眸のおんな---と侮蔑されているのは、船宿〔黒舟〕枝宿(えだやど)店の女将・お艶(えん 28歳)であろう。
1ヶ月ほど前に、権七(ごんしち 46歳)からひどい折檻をうけている現場に立ち会ってしまった。
梅雨のはしりの時季であったから、横川の水はつめたかったろうに、風邪も引かず、腹くだしもせずにすんだのは、根が丈夫な質(たち)に生まれついていたのであろう。
たしかに鼻筋もとおりととのった面高(おもだか)だし、躰つきも江戸の当時のおんなとしては上背があるほうで、権七とどっこいどっこいの背丈をしている。
目ぜんぶが黒目かとおもうほど、双眸(りょうめ)が黒々としていた。
ひきかえ、お琴は切れ長の絵師好みの美貌であった。
もっとも、里貴(りき 34歳)と同齢なので、笑うと目尻にすずめの足跡が深くでるようになっているのだが。
脊は、里貴よりも1寸(3cm)ほど低いが、それが愛嬌を強めていて、男客の評判もいい。
権七にいわせると、
「小柄なおんなほど音(ね)がいい」
最初は、名前の琴の弦のことかとおもっていたが、里貴に、
「銕(てつ)さまともあろうお人が---」
笑われ、
「今宵、音(ね)を聞かせてあげます」
それで、権七のおんなの好みの多彩さを知らされた。
ふだんは動作も悠々としており、そういうところはつゆ感じさせないが、内儀のお須賀(すが 41歳)の外に、34歳と28歳の熟れた年増の手綱をたくみにさばいているのには、さすがの平蔵も、別の意味で感服していた。
しかし、権七にはそれなりの悩みがあるらしかった。
ぽろりと洩らしたところによると、若年増のお艶には、傷めつけられて高ぶる習癖があるようであった。
そのことは、10年後に、火盗改メになって拷問に立ち会ってはじめて納得した。
このことは、このブログの本筋ではないからこれ以上は触れないが、1ヶ月前のお艶の入水騒ぎも、もしかしたら、権七とお艶の情事のひとつであったかもしれない。
もちろん、お琴は、あの事件を知ってはいない。
ただ、里貴が、
「音(ね)をあげるまで責めてごらんなさいませ」
挑発が激しくなったのには、いささか辟易ぎみのところもないではなかった。
性は、ほんとうに微妙で、一様にはいかない。
平蔵が銕三郎(てつさぶろう)と幼名を名乗って22歳だったとき、刺客から守ってやった女性(にょしょう)と躰が結ばれた。彼女は、12歳のむすめを育てている33歳の後家であった。
彼女より11歳下の銕三郎は、性愛の秘技を1年以上にわたった伝授されたが、被虐趣味は教科の中に入っていなかった。
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コメント
権七さんも事業が成功すると、お妾に仕事を手伝わせるのですね。
物語が、平蔵さんを中心に展開しているので、これまで権七さんの女性関係は描かれなかったけれど、経済力と精力の豊な権七さん、当時とすれば、1人や2人いて当然だったのでしょう。
『鬼平犯科帳』でも、法楽寺の直右衛門とおみね、尻毛の長右衛門とお新のように、そっちから女を自由にして使いこなしていっているお頭もいますから。
投稿: tomo | 2010.11.18 05:02