茶寮〔季四〕の店開き(5)
「船荷でだしておいた衣類やらなにやらが、先刻、とどきまして、このありさまです」
部屋いっぱいに、着物やら小物がちらかっていた。
「召し物が整わないことには、お役宅へご挨拶にもあがれませんから---」
役宅とは、神田橋門内の老中・田沼(主殿頭意次 おきつぐ 60歳 相良藩主 3万7000石)のことである。
「早朝から、店の下検分で疲れておろうが、男手では用がたるまい」
平蔵(へいぞう 33歳)が笑うと、箪笥が、まだ、浜町の納屋からは来ていないので、柳行李を2つばかり、頼みに行くところだと言った。
松造(まつぞう 27歳)が気をきかせ、下働きのお倉(くら 58歳)婆やに店のあり場所を質(ただ)した。
そのまま、善太(ぜんた 8歳)のところへ帰ってよいというと、察して、出ていった。
お倉も、夕餉(ゆうげ)の支度はこれとあれと言いおき、行水の湯も沸かしたから---と帰ってしまった。
里貴(りき 34歳)は、着いた荷の中から藍染めの浴衣を選んで着替えた。
「おいおい。道中の宿々で、まさか、あの尻切れですましていたのではなかろうな」
「そうだったとしたら、なんとおっしゃいます---?」
「眼福した奴の両目をくりぬいてやる」
「お生憎さま。ちゃんと足首までの寝衣でした」
冗談のやりとりが、里貴はうれしくて仕方がない。
この2年間、紀州の貴志村の生家で、病床の親とは冗談一つ交わせなかった。
いつものとおりに茶碗酒になった。
お倉がつくった一人分の菜を2人でつついた。
「〔季四(きし)〕の按配は、どうであった?」
「お粂(くめ)さんの差配は、それはそれはみごとなもので、一ッ橋の〔貴志〕へ戻ったようでした」
「それは重畳---」
「なにか、お考えが---?」
「そうではない。お粂を〔草加屋〕から退(ひ)かせておいてよかった」
「〔貴志〕がお店を閉めたあとの面倒も見てくださったのだそうですね。ありがとうございます。わたしがあわただしく帰郷してしまったものですから---」
「いや。虫が報せたのであろう、お粂があのまま〔草加屋〕にいたら、〔季四〕は商売仇だ」
「女中頭に引きぬきましたでしょう」
「それは困る。あれの〔草加屋〕づとめには、両国橋西の広小路一帯の香具師の元締がからんでいる。引きぬかれたら、黙ってはいなかったろう」
「怖いところだったのですね」
里貴は内心、平蔵の知己の幅ひろさにおどろいていた。
「そういえば、〔季四〕の隣りに、権七(ごんしち)さんが船宿をお出しになるのをご存じでしたか?」
「そんな手配までしてくれていたのか」
「銕(てつ)さまに、これからは舟の時代だと教えられたとか--」
「田沼侯の受けうりだが---。しかし、することが速いな」
「船宿は女将の愛想と機転でもっているようなものだが、そういう女将のこころあたりがあるのかな」
「わたしでは無理ですね?」
「おいおい。〔季四〕の女将がなにをいいだすやら---」
「行水、なさいますか?」
「いや。きょうは、このまま帰る」
「こんどは、いつ?」
「明日は宿直(とのい)だから---」
「では、明後日の昼間、お倉を帰しておきます」
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コメント
お里着さんは客商売なんだから、たしかに店名の季四にあわせた季節々々衣装が必要ですね。
季節に合わせた着物で、男客にも季節を感じさせることがもてなし心というものでしょう。
ちゅうすけさんが、そんなところまで気くばりして物語をつくっていらっしゃるのには、感心のほかありません。
洋服に慣れきったわたしは、着物の季節感が遠のきがちですもの。
投稿: tomo | 2010.11.15 05:18
着物はおんなの第2の肌とか、聞いたことがあります。着物時代はそうであったろうと納得していましたが、このところ、着物婦人に出会いませぬので、だいぶ、記憶がうすれています。再勉強です。
投稿: ちゅうすけ | 2010.11.15 10:53