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2010.12.14

医学館・多紀(たき)家(3)

「それが---です、元悳(もとのり 50歳)奥医どのと、息・元簡(もとやす 26歳)どのの話が微妙にくいちがっておりまして---」
先手・弓の2番手の(にえ)安芸守正寿(まさとし 39歳 300石)組の老練な同心・佐々木伊右衛門(いえもん 41歳)は、茶寮〔季四〕の凝った造作にはいっこうに興味をしめさず、まっすぐに本題にはいった。

気をきかせた里貴(りき 36歳)が、筆頭与力・脇屋清助(きよよし 52斉)の盃を満たしたあと、佐々木同心にもすすめたが、平蔵(へいぞう 34歳)を注視していた伊右衛門は気がつかない。

佐々木うじ、女将が酌をしたがっておりますぞ」
平蔵が笑いながら注意すると、
「あっ。これはご無礼を---。じつは、わたくし、生来、不調法でございまして---、一滴もうけつけないのでございます」
40歳をすぎても朴訥さを失>っていないので、親しみを覚えるとともに、海千山千の盗賊たちをあいての火盗改メの同心としてはどうかな---と案じもした。

ちゅうすけ注】鬼平ファンのあなたは、もう、お気づきであろうが、この佐々木伊右衛門は、文庫巻4[あばたの新助]に登場している新助の亡父である。
新助の甘いもの好きは、伊右衛門ゆずりであろう。

注がれかけた盃を膳へもどし、
法眼どのは、盗まれたなにかを隠しておられるように感じました」

神田佐久間町の躋寿館(せいじゅかん のちに医学館)に付属して建てられている学頭舎を兼ねた住居が襲われたのを、佐々木新之丞が係り同心としてなっているのであった。

ひとわたり酌をすますと、里貴は目顔で平蔵に会釈を送り、座をはずした。

賊は8人ほどで雨戸を庭側からはずして侵入し、抜き身でおどして元悳夫妻、元簡、奉公人たちを一部屋へ押し込んでしばりあげ、口封じの猿轡(さるぐつわ)をかけた。

手文庫から受講料として納入されたばかりの40人分240両(3,840万円)のほか、薬箪笥から50両(800万円)相当の朝鮮人参を奪い、廊下一面に鉄菱を打ちこんで引きあげたという。

「鉄菱を撒いた---のですな。その鉄菱は?」
「これです」
手拭で包んでいた鉄菱を佐々木同心が手渡した。

(14年前の、あの一味かもな)

参照】2008年3月31日~[初鹿野(はじかの)の音松] () () () () (
2008年4月27日~[〔耳より〕の紋次] () (2
2008年8月16日[〔橘屋〕のお仲] (

鉄菱を脇においた平蔵は、配膳された熱々のさざえの壺焼に箸をつけるようにすすめた。
切り刻んだ身のほかに、きくらげの刻みが散らしてあり、食べ加減の味付けがしてあった。

あと2品ほどと嫁菜飯を食し終えてから、、
佐々木うじ。法眼どの親子の口うらが合わないとお感じになられたのは---?」
元簡どのが何かいいかけたのを、法眼どのが一方的に、[それきりでござる]とさえぎったのです」

佐々木うじは、それが何であったと思われますか?」
鉄菱のことは伏せて平蔵が、問いかけた。


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コメント

今朝も「あばたの新助」をさっと読み返したら、亡父はちゃんと伊右衛門とありました。
いつだったかも「おみね徳三郎」のおみねが6歳かで登場してきたとき、おみねの亡父は万蔵としてあり、細部まで『犯科帳』が読み込まれているブログなんだな、と感銘をうけたことでした。

投稿: tomo | 2010.12.14 05:37

>tomo さん
ここのところ、ユニークユーザー(アクセス実人数)の手ごたえを感じています。
リサーチと史実による鬼平像が認められてきているという実感です。
まあ、5年という歳月を要しはしましたが。
長谷川平蔵は実在していた幕臣ですから、史実が気になって当然とおもいます。
それに、池波小説の面白さが加わるのですから、ファンがふえ、ページ・ヴューがあがってくるのも当然でしょう。
万蔵も伊右衛門も、ファンなら見逃さない価値ある脇役だとおもいますしね。

投稿: ちゅうすけ | 2010.12.14 08:54

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