おまさのお産(9)
「志田どの。くれぐれも手順をお間違えなきように。町方、在方の長(おさ)か肝入りを集める---」
平蔵(へいぞう 38歳)の言葉を引きとった志田数弥(かずや 30歳)が、
「領内の酒々井(しゅすい)村出の忠助のむすめがややを産みに戻ったが、存じよりの者はいないか、手くばりをさせる。つけたしのように、もしかすると猿使い師といっしょかもしれないようだから、そっちから調べる手立てもありそうだととぼける---のですな?」
「さよう。猿使い師がとどけられたら、産婦といっしょではなかったかと、またとぼけ、では捨ておけと関心をはずす」
「じつは、ひそかに見張り、連絡(つなぎ)をつける座頭をあぶりだす---のでしたな」
数弥に、軍鶏の肉が煮えたようだと告げ、酒をすすめた。
本所・二ッ目ノ橋北詰の〔五鉄〕の2階である。
密談と察した三次郎(さんじろう 33歳)が2階を貸切りにしてしまっていた。
平蔵に知恵を貸すように命じた藩主・堀田相模守正順(まさあり 39歳 11万石 奏者番)とすれば、先輩にあたる井伊兵部少輔(しょうゆう)直朗(なおあきら 36歳 与板藩主 2万石)の顔を立てたのと、おもしろ半分でもあったろう。
実情はそうであり、被害金額も少ないとはいえ、藩が事あるごとにご用金を命じている店々であったから、用人つきの志田数弥にすれば、ここで犯人を挙げて藩主のおぼえをよくしたい。
そこで、じきじきに国帰りして経緯を見守るという熱の入れようであった。
壮行の酒食を平蔵がもうけた。
〔五鉄〕の席料と、数馬をニノ橋下から鍛冶橋まで送った黒舟代は平蔵がもった。
おまさの所在がわかれば、との平蔵の知恵貸しであったが、そこは雄藩、体面もあってのことであろう、それなりのこころづかいは用意していた。
与板藩が路銀ともで包んだのと同じ7両(112万円)とわかり、両藩の用人たちの腕前に、平蔵は苦笑した。
志田を見送った帰路、藤ノ棚へ立ち寄り、5両(80万円)を里貴(りき 39歳)へわたし、そろそろ、この近所の2階家が買えるのではないかと訊いた。
「はい。対岸の亀久町の裏に、まあまあの家がみつかったので手付けをうち、裏塀などを新しくしてもらっております。〔黒舟〕さんと〔丸太橋(まるたばし)〕の元締さんのお世話になりました。銕(てつ)さまからもお礼のお言葉をおかけおきください」
「で、引越しはいつになりそうかな?」
「桃のお節句のあとあたり。そのころには、志貴村に頼んでおいた娘(こ)もきまっていましょう」
【参照】2011年6月29日~[おまさのお産] (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8) (9)
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