平蔵、西丸徒頭に昇進(3)
「たしかに、七代さまが役付きにおなりになったのは、そなたさまより1年遅かったかもしれません。でも、七代さまのほかには、両番のこの家筋から、それまで、役付きにおなりになったご先祖はお一人もありませんでした」
久栄(ひさえ 32歳)が、なにかというと七代(舅・宣雄 のぶお 享年55歳)の肩を持つのは、:嫁にきて間もなくから、夫・銕三郎(とつさぶろう)の外のおなごの艶聞で苦労いているのを、なぐさめるようにいとおしんでくれたからであった。
さいわい、親類が顔をみせた昇進の祝儀の席では発言をひかえるだけの節度はもっていたが---。
(妻という生きものは、独占したがるこころ根が強すぎる)
「七代さまは、小十人組のお頭を8年で、お先手組のお頭に出世なさしました」
(徒組の頭になったばかりというのに、もう、つぎの役職を目の前に吊すとは---)
はっ、と納得がいった。
「七代(ななだい)さま、なな代さま---」
このところ、
しきりに持ちだしているのは、奈々(なな 17歳)のことをあてつけているらしと。
田沼主殿頭意次(おきつぐ 66歳)の木挽町(こびきちょう)の中屋敷へ歳暮をとどけた奈々が、佳慈(かじ 33歳)からの言葉を伝えた。
「年明けの行事が片付いたら、呼び出しをかけるから、応じるように---」「
「どなたとどなたをお招き、とのお仰せであったかな?」
平蔵(へいぞう 39歳)の問いかけに、桜色の腰丈の寝衣で片立てにしていた膝頭に小椀の手をのせ、
「いわはらなか---おっしゃらなかった」
「そうか、おっしゃいませんでしたか」
「あい。おっしゃいませんでした」
2人して、声をあげて笑った。
平蔵は、20年も前、駿府の府中で、父の養女・与詩(よし 6歳=s当時)をもらいうけた帰り、その言葉づかいをいちいち直したことをおもいだした。
【参照】200818~[与詩(よし)を迎えに] (20) (21) (22) (23) (24)
ひととおりの礼法は、勘定見習·山田銀四郎善行(よしゆき 41歳 150俵)の実母・於良(よし 62歳)に習い、江戸ことばも、ともに学んでいたお島(しま 19歳)とお通(つう 17歳)らからの口うつしで馴れてきていたが、里貴(りき 享年40歳)が倒れてからは、いつしか遠まになっていた。
笑いをおさめた平蔵が、
「女将にとっての財産の一つは、言葉づかいかもしれないな。於良師に、も一度、頼んでみよう。今度は、裏の寮にいる女中衆もいっしょに、この家でお教わるといい」
寮の女中たちは、紀州の貴志村と信州・佐久郡沓掛村で育ったむすめたちであった。
寮では、故里ことばで話しあっているにちがいなかった。
奈々には折りをみ、藤間流あたりの踊りも躾けたかった。
天明4年(1784)が終ろうという大晦日近く、奈々が金包みをだし、
「今年のあがりです。お納めください。里貴おばさまからいいつかってました」
平蔵は一礼してから押し返し、
「志は受け取った。これは、奈々の衣装料である。女将にとり、着物は仕事着であろう。われからの志として受けてくれ」
「ありがたく、頂戴します」
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