長(おとな)・千田聡兵衛からの封翰(5)
若君・豊千代家斉(いえなり 13歳)公の、深川東端・亀戸村での初鷹狩への扈従(こじゅう)などにとりまぎれ、平蔵(へいぞう 40歳)は、お染(そめ 26歳)と卯作(ぼうさく 6歳)のことはほとんど頭になかった。
松造(よしぞう 34歳)と顔をあわせるたびに、10歳齢上女房のお粂(くめ)がどう許したかを訊いてみたくなるが、家長として家士の閨(ねや)ごとなどに興味を示してはならぬ。
松造も、なにごともなかったごとくに勤めている。
それでよいのだ。
(あれは、われの身代わりをつとめてくれた忠勤ぶりであったのだ)
しかし、観察者のちゅうすけとしては、落川(おちかわ)村の長(おとな)・千田聡兵衛(そうべえ 60がらみ)が自然薯をどっさり若いのにかつがせて長谷川邸へやってきたことを報じないわけにはいかない。
「長谷川さまの元気をいただきこうとおもいたったら、もう、村にじっとしておられなくなりましてな」
「どこか、不具合でも---?」
「50すぎまで山仕事で鍛えております、弱っているのは目と歯と---なに、だけですよ」
「順当に---」
「さよう、世間並みに---ふ、ふふふ」
聡兵衛老を〔五鉄〕へ案内した。
酒の肴にでた甘醤油煮の肝をよろこんでつまんだ。
弱っている歯でも噛め、それなりに口あたりがいい。
身をのりだし、お染(そめ 26歳)を嫁(めと)った堀の内の(真宗)永照寺だが、たいそうな人助けであったと話しはじめた。
住職は3年前に2つ齢上の大黒を病死させていた。
大黒は、50歳をすぎたあたりから痛がって拒んだので、住職のほうもそれきり欲望を消してしまっていた。
お染を引きあわされ、恐るおそる同衾してみると、導きの手ぎわもよかったのであろう、その気が再生、悟りきった仮面がたちまち溶解した。
若僧時代に檀家の中年後家にしこまれた秘技にもほこりをはらった。
庫裏(くり)におさまったお染は、檀家衆から、
「若大黒さま。若内室さま---」
たてまつられるので、生まれて初めて安住できるところを得たよろこびが、いっそう住職をふるいたたせた。
卯作(ぼうさく 6歳)も、
「じじ、じじ---」
住職になつき、勤行のときには並んでお経をあげるようになった。
10歳になったら、ほかの寺へ修行にだすことになっていた。
(お染に縄をかけなかったのは正しかった。人は、環境がととのえば悪には走らない)
【ちゅうすけ秘】20年前に物故した仲間のF氏はR角散という製薬会社の世継社長であった。
永照寺の前妻のような不調をあちこちから訴えられて研究、深く浅くの動きをなめらかにする薬剤をURASHIMA と名づけて製品化した。この話を転用させてもらった。
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コメント
20年前にR角散の社長からお聞きになったという老年夫婦の閨でのための特殊薬の話を、20年間もおぼえていたちゅうすけさん、ものを書く人の記憶力と応用力に感心しました。
R角散へ問い合わせたら、今でも通販で売っているそうですから、友人の喜寿祝いに贈呈してみようかな。
投稿: 与太郎 | 2011.10.29 06:10
R角散の故・F社長は、愉快な発明家でしたが、そうですか、20年後のいまなお、需要がありますか。いや、老齢化社会だからこそ、需要があるのでしょうね。女性もいつまでも現役でいたいでしょうし。
通販とは、うまい販売方法です。薬局では、求めるのに、ちょっと、勇気が必要ですから。
女性はURASHIMAでスムースに受け入れられたとして、喜寿のお友達の男性のほうには、もう一つの薬剤が必要かも(冗談です)。
投稿: ちゅうすけ | 2011.10.29 09:46