柄(つか)巻き師・飯野吾平
「殿。飯野と申す老爺(ろうや)が、先刻より門番部屋でお帰りをお待ちしておりますが---」
松浦用人が自分の齢は棚にあげて、客を老爺呼ばわりした。
門番部屋で待せたということはそれだけ見すぼらしい容姿(なり)だが、つねづね平蔵(へいぞう 40歳)から、服装で人を判別してはならぬといわれていたからであった。
「飯野---? こころあたりがないが---」
「息が徒(かち)組の隊士とか、申しております」
「おお、飯野六平太(32歳)の父ごであろう」
徒士・飯野六平太のことは、
【参照】2011年9月30日~[西丸・徒(かち)3の組 ] (2) (4) (5)
恐縮する吾平(ごへえ 57歳)を、菊川橋たもとの酒亭〔ひさご〕へ連れだした。
なにかいいたそうなのを、
「ま、一杯呑(や)ってから相談ごとを聴こうじゃないか。われも、窮屈な柳営での鬱積を酒でながしたい」
酌をしてやり、
「あとは、自分勝手に、な」
2,3杯すすってから、吾平が懐からとりだしたのは、太刀の柄(つか)であった。
「ご存じでしょうが、これは、竹の節(ふし)巻きと申す、いささか変わった柄巻きでございます」
「いや、初めて拝ましてもらった」
「糸師の中村家が、絹糸を何10本も松脂で固め、ひと節ずつ餅糊(もちのり)で貼りつけております」
「そういえば、ご子息の書き上げ状に、父ごどのは柄巻きの熟練と書かれてあったな」
「この柄巻きの長所は、掌が汗ばんでも、滑らないところです」
「ふむ。斬りあいが長引いても、遅れをとることがないというわけだ」
(柄巻き師 『風俗画報』 塗り絵師:ちゅうすけ)
吾平によると、太刀の柄の糸巻きは、装飾でもあるが、じつは汗による滑りどめという実用もかねておる。
だから、柄巻きの良否を見分けるには、むかしは濡れ手拭いを巻き、型くずれするか否かで試したものだと。
泰平の世がつづき、太刀で斬りあうことがほとんどなくなったため、柄巻き技量もあまり話題にならなくなり、それにつれて仕事も減ったので、老妻の薬料の支払いにもこと欠きがちで、つい、借財がふくれてしまった。
「このたびの長谷川さまのお蔭で、わが家にも笑いが戻りました。この柄を感謝の一端としてお収めいただければありがとうございます」
深ぶかと頭をさげられた。
「いや、今夕は、はからずもよい話を聴かせてもらい、勉強になった。お礼をいわねばならぬのは、われのほう。このような貴重なものをいただく筋あいはないから、お収めあれ」
押しあいのすえ、けっきょく、受け取ることとなった。
いつ、柄巻きの修行をしたかと訊くと、なんと、若い時分に3年ほど京都の二条城の衛士として駐在した時、職務のあいまをみて佐伯流の師についたといわれ、
「われは京師では、おんな修行ばかりであった。恥ずかしい---」
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コメント
柄巻きの知識はまったくなかったので、興味深く読みました。平蔵同様、お礼つかまつります。
投稿: 左兵衛佐 | 2011.10.10 06:15
>左兵衛佐 さん
太刀そのものが日常から消えていますから、柄巻きなどに言及されることも、まず、ありません。
しかし、江戸時代に触れる場合は心得ておかないとならないでしょう。
それで、一風景としてとりあげてみました。
投稿: ちゅうすけ | 2011.10.10 09:24