月輪尼の初瀬(はせ)への旅(4)
「新義真言宗の総本山である大和の長谷寺は、大塚・富士見坂下の護持院内・蓮華庵の尼僧を邪淫の破戒を涜(おか)し、破門にあたると初瀬(はせ)へ召還しております」
平蔵(へいぞう 40歳)が、下総(しもうさ)国佐倉藩の江戸藩邸で、年寄(かろう)格の佐治茂右衛門(もえもん 48歳)に告げていた。
昨宵、藩主で寺社奉行の堀田相模守正順(まさあり)と正室を茶寮〔季四〕へ招き、女将・奈々(なな 18歳)の才覚になる朝鮮膳をふるまったおり、ささやかれた。
「用件は、いつにても佐治の爺ぃに託(ことづ)けられよ」
「新義真言宗と申せば、東国では、音羽の護国寺---」
「護持院はその支寺)(しでら)です」
「護国寺なれば、管長どのに知己があるはず---」
「尼と相思になったのが、われの嫡子です。できれば尼を破門でなく還俗(げんぞく)扱いに---」
護国寺は、護持院もその塔頭(たっちゅう)におき、新義真言宗の根本道場となっていた。
「とりあえず18日に 初瀬へ発(た)たせるようには手くばりをしておる」
亀久町の奈々(なな 18歳)の家で経緯を話した。
「佐倉の殿はん、あんじょうしてくれはらしまへんの?」
腰丈の桜色の閨衣(ねやい)で片立て膝の奈々と向きあうと、見なれているはずなのに欲情があらたになる平蔵であった。
小椀の冷や酒をすすりながら、見るともなく奈々のそこに視線をやりながら、
(40歳にもなって、このように硬直するとは、どういうことであろうか。それほどに好き者なりのか、それとも、奈々がなまめかしすぎるのか)
月輪尼(がちりんに 24歳)の乗馬の旅のために仕立てさせ、わたしただぶだぶの股引のことをおもいだした。
(法衣の下に着するものなので白でつくらせたが、奈々には桜色だな)
股の根元がひらくようにしたのを別にあつらえ、寝間着にしては?
(ま、尼どのの旅のあいだ、往還2ヶ月は月魄(つきしろ)は留守になるから、ゆっくりと談合すればよい)
おもってみただけで、顔がほてってきた
「なに、かんがえてはるん?」
「奈々が裸の月魄に乗るときにはく猿股(さるまた)の色をな---」
「そら、桜色にきまっとる。つけ根がひらくようにしといたら、あの月魄(こ)も感じるんとちがう?」
(尼どのとはまったく異なった邦(くに)からきたおんなだ---)
【参照】2011年10月4日[奈々(なな)と月魄(つきしろ) ] (1)
翌日、〔音羽(おとわ)〕の重右衛門(じゅうえもん 58歳)がやってきた。
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