〔矢野口(やのぐち)〕の甚七
『鬼平犯科帳』文庫の特別長篇である巻22[迷路]で、浅草・新堀端の居酒屋[豆甚]の老亭主。首領〔猫間(ねこま)〕の重兵衛の配下だったが、老齢のために足を洗っている。
(参照: 〔猫間〕の重兵衛の項)
年齢・容姿:70歳近く。小柄。タヌキのような顔。
生国:武蔵(むさし)国多摩郡(たまこおり)矢野口(やのぐち)村(現・東京都稲城市矢野口)。
谷之口穴澤天神社(稲城市矢野口32892 『江戸名所図会』より』)
池波さんは、この絵から〔矢野口〕の「通り名」をおもいついたろう。
(塗り絵師:ちゅうすけ)
新田義貞の子・義興が鎌倉に対して軍を挙げ、敵方の策謀で矢口の渡しで自害して果てたが、その矢口がこことの説もある。別の説は荏原郡矢口(大田区)。
矢口古事(『江戸名所図会』より 塗り絵師:ちゅうすけ)
謀殺した新田義興の霊にたたられる畠山国清
ほかに「矢野口」は、下野国河内郡(現・茨城県今市市)、紀伊国牟婁郡(現・和歌山県西牟婁郡すさみ町)にもあるが、〔猫間〕一味のテリトリーが東海道筋であることを考慮したのと、『江戸名所図会』の谷之口(やのくち)穴澤天神社の絵により、稲城市を採った。
探索の発端:博打に手を染めた同心・細川峯太郎が、オムラにむしられてた帰宅の途路に立ち寄ったのが〔豆甚〕。
そこにいた25,6歳の年増にもてあそばれたものの、老爺と年増女お松の人相をた供述をした。
人相書を見た密偵おまさが、老爺を〔矢野口〕の甚七と断定したことから、〔豆甚〕が見張られることになった。
甚七は若いころから、ご家人くずれで盗みの世界に入った木村源太郎ことのちの〔猫間(ねこま)〕の重兵衛の下にい、おまさの父親〔鶴(たずがね)〕の忠助の店〔盗人酒屋〕にも出入りしていたのである。そして、〔久保島〕の吉蔵という盗賊を助(す)けるように忠助にいわれ、源太郎、銕三郎ともども加わった。
結末:〔猫間〕一味は死罪。〔矢野口〕の甚七も同罪だったろう。
つぶやき:タイトルの[迷路]が暗示しているように、連続殺人のおきる謎解きミステリー風の作品にしたかったのだろうが、『鬼平犯科帳』の諸篇はたいてい倒叙スタイルで書かれている。そこで眼目は、動機と手段の探索となるが、意外に軽い感じ。
読みどころはもちろん、鬼平の苦悩ぶりと強い責任感である。
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