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2005.10.29

〔石川(いしかわ)〕の五兵衛

『鬼平犯科帳』文庫巻21に収められている[瓶割り小僧]の主役が、取り調べる与力・小林金弥(30歳をこえたばかり)を愚弄するために石川五右衛門をもじって名乗った名前が、〔石川(いしかわ)〕の五兵衛である。
幼名は、音松。が、物語は仮名の五兵衛ですすめられる。
家督した長谷川平蔵が書院番士にあがる前年---安永2年(1773)、平蔵28歳のときのこと。
神谷町の刀研師の店へ立ち寄ったとき、向いの陶器屋の店主(40がらみ)と7つか8つの子どもが口論していた。
子どもが店先の大きな水瓶を2個購うといい、行きがかりで、1人で持ち帰るなら1個3文にしてやると店主。
子どもは、大石で瓶をこなごなに壊し、そのかけらを手に、「いちどに持ち帰るとはいわなかったからね」
その小ざかしさに、店主の義弟が鼠坂で斬り捨てようとしたのを平蔵が助け、「大人は馬鹿ばかりではない」とたしなめた上、音松の腹の皮1枚のところで帯と着物を切ったことがあった。
音松は、母が迎えた継父とうまくゆかず、16のときに継父を殺害して盗みの世界へ入っていたのである。

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年齢・容姿:27,8歳。色白の美男だが、左半面は火傷の跡。
生国:武蔵(むさし)国江戸・麻布あたり(現・東京都港区麻布十番2丁目)。
母親が坂下町(麻布十番2丁目)で茶店をやっているので。

探索の発端:足の傷も癒えた〔高萩(たかはぎ)〕の捨五郎が、二ッ目の通りをやってくる五兵衛を見かけた。さっそくに彦十爺つぁんが尾行(つ)けて、浅草・山谷堀の船宿〔伊勢新〕に宿泊していることを突きとめた。
(参照: 〔高萩〕の捨五郎の項)
五兵衛は、上方で畜生ばたらきをしていたが、二、三年ごとに戻ってくる江戸では盗めはしていなかった。

結末:20年前のことを持ち出した鬼平の前に、音松は一気に虚勢をくずして白状におよんだ。死罪であろう。

つぶやき:池波さんは、『鬼平犯科帳』164篇(長篇は1章を1篇として計算)中、この[瓶割り小僧]をベスト5に自薦している。
ということは、瓶を割って持ち帰るというアイデアは、池波さんのものなのであろうか。
支那ものか彦一頓知ばなしにでもありそうにおもえるのだが、はっきりとは知らない。

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