〔葵(あおい)小僧〕芳之助
『鬼平犯科帳』文庫巻2におさめられている[妖盗葵小僧]の主人公は、池ノ端仲町の骨董店〔鶴屋〕佐兵衛に化けているが、じつは尾張の役者あがりで、桐野谷(きりのや)紋十郎の一人息子である。
21歳の初夏、体よくあしらわれた茶汲女を殺害して逐電、盗みの世界へ入ったが、女性への不信感から、押し入った商家では、しばりあげた主人が見ている前で女房やむすめたちを冒しつづけるという非道をつづけて、鬼平を激怒させていた。
(国芳『枕辺深閨梅』口絵 部分 葵小僧のイメージ)
筋違(すじかい)御門外の料亭〔高砂屋〕も襲われ、若女将・おきさ(27歳)が冒されたが、たまたま、彼女の実家の亀戸天満宮門前の料亭〔玉屋〕の畳替えに来ていた浅草田原町の畳職・市兵衛が、たくみに声色をつかう客に疑いをかけて、火盗改メへ申し出たために、大坂や名古屋の役者くずれに容疑が向けられた。
『江戸買物独案内 飲食之部』(文政7年 1824刊)
年齢・容姿:38から39歳へかけての事件。鼻筋がなく、小鼻だけがもりあがっている。
生国:尾張(おわり)国名古屋城下(現・愛知県名古屋市)
探索の端緒: 〔玉屋〕で声色をつかってみせた客の人相書が描かれ、貸本やの亀吉(40そこそこ)とわかり、捜査の網がはられた。
結末:神田・佐久間町3丁目の傘問屋〔花沢屋〕を襲うときに逮捕。自供書をとると多数の妻女たちの被害が公けになるので、3日とおかずに死罪。
つぶやき:巻18に所載の[蛇苺]で、鬼平は、これまででもっとも憎い盗賊は、レイプをしまくった〔葵小僧・芳之助〕だったと述懐している。
レイブは、被害者の心に深い傷をのこすだけ、殺人よりも罪が重いといっていいかもしれない。
[妖盗葵小僧]は、シリーズ第11話として、連載が始まった1968年の『オール讀物』11月号に、寛政4年(179)の初夏に解決した事件として掲載された。原稿枚数135枚。
それより4年前の1964年1月6日号の『週刊新潮』に、独立短篇[江戸怪盗伝]のタイトルで、葵小僧の事件が41枚にまとめられて発表されている。これは長谷川平蔵が池波作品に初めて顔を見せた篇でもある。
[妖盗葵小僧]は、これを3倍半にふくらませた作品である。つけ加えられてふくらんだ主だつた部分は、通4丁目の文具屋〔竜淵堂・京屋〕夫妻にまつわる記述である。亭主の目の前で女将のお千代(21歳)が妖盗の舌技にたまらず腰をうごかしてしまった、というような読者サーヴィスのきわどい描写も入れられ、池波さんがこのシリーズにかけているなみなみならぬ意気込みも感じさせる。
ふつうの雑誌用の短篇3篇分---135枚もの誌面を与えた『オール讀物』の編集部側も、1年足らずの連載中に、たしかな手ごたえを感じていたのであろう。
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