同門・池田又四郎
『鬼平犯科帳』文庫巻16に収録されている[霜夜]は、かつて高杉道場で同門で、鬼平(当時は銕三郎)の弟弟子だった池田又四郎の20数年後の事件である。
20数年前、銕三郎20歳、又四郎は17,8歳でまだ少年の面影が濃くのこっている色白の美しい若者だった。
その又四郎に、継母とうまくいってなかった鉄三郎は、養子に入って長谷川の家を継ぐようにすすめた。鉄三郎が継母を斬る決心をしていることを推察した又四郎は「それはいけませぬ」といって、亀沢町の実家からも高杉道場からも姿を消した。
20数年を経て、姿をあらわした又四郎は、女性のことで悩んでいたばかりか、盗みの世界に足をいれてもいた。
年齢・容姿:41,2歳。すっきりした細身の躰つき。
生国:]武蔵(むさし)国江戸・本所亀沢町(現・東京都墨田区亀沢)。
探索の発端:g)京橋・大根河岸の料理屋〔万七〕で名代の野兎鍋と酒を賞味していた鬼平は、襖ごしに聞こえた隣室の男の声が池田又四郎のものと断じた。
店を出た股又四郎を京橋川づたいに尾行(つ)けていくと、稲荷端橋で逡巡したあと、鉄砲洲のほうへ。やがて、現れた〔常念寺(じょうねんじ)〕の久兵衛と〔栗原(くりはら)〕重吉を斬った。
(参照: 〔常念寺〕の久兵衛の項)
(参照: 〔栗原〕重吉の項)
結末:役宅へ又四郎は鬼平あての手紙をとどけていた。深川の東方の砂村元八幡宮で会いたいとあった。鬼平が行くと、属していた盗賊集団〔須の浦(すのうら)〕の徳松一味のもの8名を斬ったが、又四郎自身も深傷を受けて、鬼平の腕の中で最期に洩らしたのは---。
(参照: 〔須の浦〕の徳松の項)
つぶやき:高杉道場での池田又四郎は、鉄三郎の色子になりたがっていたというのだ。そういう心情は、ストレート者には想像でしか理解がおよばない。しかし日本だけみても、戦国武士や僧侶のあいだに広くあった行為だし、いまでも知り合いにその種の関係をつづけている人たちがいる。深く自省すると、ストレートな男性の心の底には、そこへ傾斜しないでもない欲望がないこともない気もする。
だから池波さんは、池田又四郎を造形したのであろう。もっとも彼は、義妹とも関係するほどにストレート男性に戻っているが。
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