〔土壇場(どたんば)〕の勘兵衛
strong>『鬼平犯科帳』文庫巻5に収録されている[兇賊]で、突然、明和3年(1766)と、時計の歯車が24年逆回転したように、鬼平が21歳のときの事件へ戻るのは、この〔土壇場(どたんば)〕の勘兵衛の息子で兇賊〔網切(あみきり)〕の甚五郎(50男)が出現したからである。
(参照: 〔網切〕の甚五郎の項)
その当時、〔土壇場〕の勘兵衛は、両国の盛り場を牛耳っていた香具師の元締〔大崎(おおさき)〕の弥平の右腕と称して、悪徳のかぎりをつくして、土地の嫌われ者だった。
21歳の平蔵(当時は銕三郎)がついにたまりかね、岸井左馬之助、井関録之助に助っ人をたのみ、柳島・本法寺裏で大喧嘩をやり、鉄条入りの振棒で勘兵衛をなぐり殺した。
つぶやき:銕三郎たちが高杉道場から持ち出した振棒は、素振りのためのもので、長さきは5尺(1メートル50センチほど)で、鉄条がうめこまれているので、重さは1貫目(4キロほど)もあろうか。
『剣客商売』の秋山大治郎の道場では、これを1000回素振りできるようになって、はじめて木刀を持たせる。
池波さんは、短篇『明治の剣聖--山田次郎吉』(1964年6月号『歴史読本』)を書くとき、榊原健吉などの資料から振棒の知識をえたとおもえる。
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