〔平尾(ひらお)〕の徳次郎
『鬼平犯科帳』文庫巻16に収録されて題名になっている女賊[網虫のお吉]は、3年前にも、駿府の扇子屋で〔三村屋〕徳太郎夫婦という触れこみで木挽町4丁目の旅籠〔梅屋〕に滞在したとき、男のほうが〔平尾(ひらお)〕の徳次郎だと、密偵おまさが認めた。おまさはかつて2度、2人が属している〔苅野(かりの)〕の九平を助(す)けたことがあり、そのときに見知っていたのである。
(参照: 〔網虫〕のお吉の項)
(参照: 女密偵おまさの項)
(参照: 〔苅野〕の九平の項)
そこで、おまさは五郎蔵と、水戸が江戸見物にきた夫婦ということで〔梅屋〕へ投宿したら、お吉の姿が消えていた。急用ができて駿府へ帰ったということであった。
年齢・容姿:そのとき、お吉は30を越えていたが、ほっそりとしていて外見にはとてもそうは見えなかったというから、その亭主ということだと、徳次郎は33,4か。物腰も実直な商人風だったろう。
生国:信濃(しなの)国佐久郡(さくこおり)上平尾(かみひらお)村(現・長野県佐久市平尾)。
当初、お吉が江戸生まれということ、任務が江戸でのお盗めの段取りをつけることだったので、少しでも江戸を知っているということで、都下稲城市平尾を考えたが、『旧高旧領』で検索にひっかからなかったので、あきらめざるをえなかった。
探索の発端:こんどの資源ではなく、3年前のことは、密偵おまさが浅草の奥山でお吉を見かけ、尾行(つ)けて旅籠〔梅屋〕をつきとめた。
おまさと五郎蔵が水戸から江戸見物に来た夫婦をよそおって〔梅屋〕へ投宿したときには、徳次郎のお吉も、駿府に急用ができたといって、消えていた。
結末:徳次郎は、それきり、姿を見せない。
お吉については、彼女の項をお読みいただきたい。
つぶやき:こんどの逃避行は、夫の琴師・歌村清三郎に前身がいずれバレるとともに、同心・黒沢勝之助に躰をもてあそばれたことも知られると読んでのうえである。この判断は正しい。
それはそれとして、筆者が舌をまいたのは、3年前、〔苅野〕の九平が、お吉の、江戸でのお盗めは、鬼平がいるかぎり危険であるとの言上を信用して、本所四ッ目の呉服屋〔丁字屋〕への企みをあっさりあきらめたことである。部下の見解をまるまる飲みこむんでやることで、部下は本気になる。
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