〔壷屋〕
『鬼平犯科帳』文庫巻11に載っている[穴]は、男の情念を描いて、泣き笑いさせる。
主人公は、引退して京扇〔平野屋〕の主人におさまっている〔帯川(おびかわ)〕の源助と、番頭として勤めている〔馬伏(まぶせ)〕の茂兵衛。
(参考:〔帯川(おびかわ)〕の源助の項)
(参考: 〔馬伏(まぶせ)〕の茂兵衛の項)
泣かせるといっても涙をさそうわけではない。男の業(ごう)みたいなものに共鳴してしまうということ。
源助は、盗みの世界を引退し、70歳もすぎているというのに、しみついた盗み心の火が消えないのだ。
それで、穴を掘って、隣の化粧品店〔壷屋〕へ潜入、盗んだ金をまた返しに侵入するというのだから、笑いもでようというもの。
池波さんは西久保の〔壷屋〕を化粧品店としているが、これは例によって、早合点である。
『江戸買物独案内』(文政8年 1824刊)によると、〔壷屋〕は菓子舗である。
どうして化粧品店としたかというと、化粧牡丹粉も併売していたからだ。こういう、脇で化粧品や売薬を売る店は、江戸では少なくなかった。
しかも池波さんは、『江戸買物独案内』の売薬のページから店名をひろってしまった。菓子の部を見なかった。
見たとしても、町名までは確認しなかったから、同じ店と気がつかなかったろう。
まあ、池波さんを責めるのは酷というもの。『江戸買物独案内』は町別ではなく、業種別に分類・掲載されているからだ。
そのことはおいて、〔壷屋〕の17代目と親しくなった。機縁は、ある鬼平講演会で、17代目が名乗ってきたからである。西久保から本郷3丁目へ移っていた。
そのとき入倉さんは、『江戸買物独案内』の現物を所有していると自慢げに告げた。
で、NHKデレビにも紹介したし、入倉さんにいって、木村忠吾がそっくりの〔うさぎ饅頭〕もすすめてつくることにしてもらった。
(参考:木村忠吾の項)
明治34年(1901)に出た、松本道別という仁が取材・執筆した『東京名物志』(公益社)に、〔壷屋〕が紹介されていたので、ページのコピーをとどけてあげようと、きょう、電話したら、17代目は4月亡くなっていた。77歳だったと。
商売は、18代目の息子さんがつづけている。
コピーをとどけがてら、先代が自慢していた『江戸買物独案内』を見せてもらった。3部冊の、菓子舗のほうの広告が載っている第1巻だけだった。
表紙には、前の持ち主が書いたらしい筆太の文字が全面にあった。それを取り去ると、ほんとうの書名がかすかに見える。せっかくの貴重本に余計な書き込みをしたものだ。
松本道別『東京名物志』の〔壷屋〕の紹介文は後日、記す。
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コメント
帯川の源助は「大川の隠居」の友五郎と同じような業を感じ「鬼平犯科帳」の中でも愛すべき人物です。
「壺屋」の17代目さんは自分の店が「鬼平」に登場しているのを知った時は、さぞ驚かれたでしょうね。
それにしても「江戸買物独案内」の原本に書き込みがあるのは残念な事です。
投稿: みやこの豊 | 2006.10.26 23:32