済海寺---右か左か
『鬼平犯科帳』文庫巻9に収録されている[本門寺暮雪]は、シリーズ第60話---連載満5年目にあたる。
満5年であることを証明するかのように、『オール讀物』1972年12月号に載った(細かいことをいえばも、[浅草・御厩河岸]はシリーズに先立って発表されたから外すべきだが、その分、1964年新年号が欠載になっているため、12月号で勘定はあう)。
すでに、読者もしっかりついていた。
松本幸四郎'(白鴎)丈によるテレビ化の準備がすすんでいることを聞いた『オール讀物』側は、第24話[密通]から最恵扱いともいえる巻末へ移している。
第25話[血闘]では、ヒロインおまさも登場してきた。
すべては順調に推移していた。
それで、池波さんもうっかりした。
編集部も見逃した。
読者も意識しなかった。
[本門寺暮雪]p132 新装p138---。
三田の通りから聖(ひじり)坂をのぼりきったところで、
(や---めずしい男がいる)
馬上から、その男をみとめた平蔵の口もとがゆるんだ。
右手の、済海寺という寺院の門前に、こちらへ背を向けている乞食坊主の後姿を見ただけで、平蔵には、
(あの男---)
と、わかったのだ。
そう、乞食坊主は、井関録之助である。
平蔵は、二本榎の細井彦右衛門(緑○)を見舞いに行くのだから、聖坂をのぼったあと、伊皿子坂をつっきるのは、とうぜんなのだが、あまりにも話がうますぎる。
聖坂 右上=済海寺
かつてこの坂のあたりに聖(乞食僧)が大勢住んでいたことから、聖坂と呼ばれるようになった。
その故事を池波さんは知っていた。だから、乞食坊主の井関録之助を済海寺(赤○)の山門に置いた。
それはいい。
が、切絵図を見てほしい。
聖坂は、右手が坂下。左が坂上。
平蔵は右からのぼっている。
済海寺は、左手にある。
ほころびは、30数年間、そのまま。
池波さんは、直さなかった。
文庫の編集部も見逃した。
地理を知る立場にある東京のファンも変とはおもわなかった。
こういうことも、あるんだねえ。
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コメント
これは、先日切り絵図を見ていて、左手じゃないかなと疑問に感じてました。聖坂を登って行ったなら、絶対に左だと。
でも、恐れ多くて、言い出せませんでした。
ちょっと、すっきりした。
投稿: ぴーせん | 2006.10.07 22:40
>ぴーせんさん
ぴーせんさんもお気づきでしたか? さすが、透徹の読み手!
ほかにも気づいた方はいらつしゃるでしょうが、わざわざ指摘する機会がなかったかのかもしれません。
ブログのいいところは、一ファンが、こうやって[歴史的ほころび〕---単に長く放置されていたほころびってジョーク的表現のつみりです---を、語りあえる点ですね。
ぴーせんさんがご自分のブログにもお書きになる、それを読んだBさん、Cさんも「じつは、ぼくも変だなとおもっていたんだよ」って声がさざなみのように広がっていくと、著作権保持者といえども、放置できなくなるのではないでしょうか。
ブログ効果って、そんなところにもあるとおもっています。
投稿: ちゅうすけ | 2006.10.08 03:51