葵小僧、最後の押し入り順路(追記)
寛政4年(1792)9月4日(史実は寛政3年4月らしい)、江戸で最後のお盗めに出た葵小僧の順路については、
おととい---2007年1月28日のこの欄に図示した。
しかし、多くの読み手が、いつものように、
葵の紋のついた衣服を着、同じ紋をつけた溜塗駕籠で出動したと思いこんでいるみたい。
切絵図に示したとおりに、
池之端から辻駕籠に乗り、p186 新装p196
湯島裏坂を突っ切り、
雨支度の4,5人をしたがえ、
御成街道を横切り---
神田八軒町うんぬん
---とあり、この夜は、
葵の紋の溜塗駕籠には乗っていない。
池波さんも切絵図をしげしげと眺め、おびただしい辻番小屋の数に、
溜塗駕籠はとても無理、と判断したのであろうか。
生原稿を見てみたい。
読む側も、先入観がありすぎると細部を見過ごしがちになる。くれぐれも注意。
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コメント
そうでした。
読み返してみましたら、この日は一味が変装した辻駕籠に乗っていました。
花沢屋の番頭卯三郎の声色で表戸を開けさせるので、葵の紋の塗り駕籠の必要がなかったようで。
それでも葵小僧は前もって用意してあった
黒い衣装に葵の紋を縫いつけた衣装でした。
こだわりですね。
投稿: みやこの豊 | 2007.01.31 01:00