〔荒神(こうじん)〕の助太郎(10)
「長谷川さま。須賀(すが 27歳)の奴が、面白いことをおもいだしやしたんで、お耳へ入れとこうと思いやして---」
〔風速(かざはや)〕の権七(ごんしち 33歳 元・箱根山道の雲助の頭格)が、訪ねてきて勝手口へまわされたことにも不服げな顔をしないで、話しかけた。
「お待ちなさい。拙の部屋で聞きましょう。内玄関へまわってください。拙が上がり口でお待ちしています」
銕三郎(てつさぶろう 20歳 のちの小説の鬼平)がさえぎった。
武家の屋敷の式台のある表玄関は、めったな者でないと通されない。
銕三郎のような家族でも、公式の出入りのほかは、脇の内玄関をつかう。
部屋へ落ちつくと、
「須賀がいいますには、どでかい腹をして箱根の関所抜けをした助太郎じじいの情婦(スケ)---あ、すみません、下じもの言葉づかいで---」
「いつだって、どこでだって、かまいません。権七どの言葉でお話しくださればいいのです。前にも申しましたが、われわれが相手にしているのは、盗賊や博徒です。彼らのしっぽをつかむには、権七どののふだんの言葉でなくてはなりません」
〔五鉄〕から帰った夜の権七---。
店の表の行灯の灯を落としてから、客たちが使ったぐい呑みや皿などを洗い場の水桶にぶちこみ、須賀と向きあって寝酒を飲みながら、京なまりのある助太郎の情婦は、上方から三島辺へ流れてきた女ではないかと、銕三郎が推理したと言うと、
「幾つぐらいの妓(こ)?」
「大年増の、26,7前後とみたが--」
「京言葉も遣(つか)える26,7歳ねえ---あ、あの妓(こ)じゃ、ないかな」
「あの妓(こ)じゃ、通じねえぜ」
権七の情婦(いろ)になる前の須賀が座敷女中をしていた本陣・〔樋口〕伝左衛門方と向いあって、次の格をもつ本陣・〔世古〕郷四郎方に、2年ほど前、京そだちというふれこみで女中に雇われた賀茂(かも)という、自称22歳---けれども、どう見ても26,7の大年増としかおもえない、顔はそれなりに整っているのだが、手足に脂肪がついていない妓(こ)がいた。
(東海道をはさんで、赤○=本陣〔樋口〕 青〇=本陣〔世古〕
三島市観光協会のパンフレットより)
同輩の女中たちがいうには、賀茂には本陣の女中にはそぐわない2つの癖があったと。
その一つは、酒好き。本陣は、大名一行の早発(だ)ち(七ッ=4時か七ッ半=5時)にあわせて、女中たちを、夜の四ッ半(9時)には仕事から解く。
賀茂は、それから女中部屋をよく脱けだして、呑み屋で独り酒をする。
酔っぱらった男たちが酒を手に言い寄るが、まったく無視するので、「あれは女男(おんなおとこ)」とのうわさされていた。つまり、女同士で睦みごとをする者というわけ。
じじつ、〔世古〕の女中で、立ち姿のいいのが、賀茂から誘われて、気色(きしょく)悪がられていたという。
「立ち姿がいいっていやあ、須賀もなかなかのものだが、目をつけられなかったのか?」
「趣味が合わなかったんでしょ」
「趣味か。おれなんざぁ、須賀にぞっこんだったが---」
「なに、言ってんの。力ずくでものにしたくせに---。いまは、お前さんの話じゃないでしょ。賀茂さんでしょ」
1年ほど前、賀茂が〔世古〕の女中部屋から、ふぃっと消えた。
その少し前から、男ぎらいでとおっていた呑み屋で、40代半ばかとおもわれる色のあさぐろい、躰がひきしまった、宗匠頭巾の男と、親しげに差しつ差されつしている賀茂が見られている。
こっぴどく肘鉄(ひじてつ)をくらった腹いせもあって、呑み客たちの口は容赦がない。
「女男なんだから、相手がばばあというのなら分かるが、じじいというのは合点がいかねえな」
「あたしたちが三島を離れる1ヶ月ほど前に、三島宿(しゅく)の北、神川(かんがわ)脇の賀茂社の御手洗(みたらし)場で、新造ふうにいいへべを着た賀茂さんが、げえげえ、罰(ばち)あたりな所作をやっているのを見たって聞いたんですよ。その時には、呑みすぎって思ったけど、お前さんの話だと、悪阻(つわり)だったのかもね」
「---というわけでやんして」
「権七どの。大手柄です。須賀どのにもご褒美がでるように、本家の大伯父(長谷川太郎兵衛正直 まさなお 57歳 火盗改メ・お頭)に頼みましょう。しかし、これからがむずかしい。賀茂社の近くに、助太郎の盗人宿(ぬすっとやど)があるにちがいないでしょうが、うっかり踏みんで、せっかくの手がかりをつぶしてしまうより、その家を見張っておいて、次の手がかりをたぐるのが良策なのですが---」
「仙次の奴にやらせやしょう」
「それでは、張り込みの仕方、尾行(つ)ける時のこころえなどを、今日のうちに書いておきますが、仙次どのは字が読めましたか?」
「仮名ぐらいは、手習所(てならいどころ)でおぼえているとおもいやすが---」
「こうしましょう。本陣・〔樋口〕伝左衛門方のお芙沙(ふさ 30歳 女主人)どのに読んでもらったり、入用(いりよう)の金も立て替えてもらうように、文をやりましょう」
「ほう。長谷川さまは、〔樋口〕に、ごっつく信用があるんでやすね」
「父上の信用です」
銕三郎は、内心の赤面を隠しながら言った。
しばらく忘れていた、14歳の夜の睦ごとが頭をかすめ、股間に血があつまりはじめた。
(歌麿『若後家の睦』部分)
(いかぬ。阿記(あき 23歳 於嘉根の母)にすまない)
(歌麿『歌まくら』 芦ノ湯小町といわれた阿記のイメージ)
(歌麿『化粧美人』 阿記のイメージ)
「権七どの。その盗人宿は、いまごろは、もう、空き家でしょうが、訪ねてくる者を尾行(つ)けることになりそうですから、長丁場になるとみておかねばならないでしょう。仙次どのの日当も、教えておいてください。太郎兵衛大伯父(火盗改メ・お頭)にねだりますから」
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