於嘉根という名の女の子(その4)
「殿さま。なにか不調法でも---?」
妙(たえ 40歳)は、夫・宣雄(のぶお 47歳)の怒声を久しく耳にしていなかったので、急ぎ足で部屋へ入ってきた。
妻の顔を見て、平蔵宣雄は、いつもの冷静さを取りもどしたといえる。
「いや。大事ない。そうだ、妙もここへ座って、銕(てつ)がしでかした不始末をどう結末つけるか、いっしょに考えくれ」
「不始末とは?」
「赤子だ」
「父上。1歳と3ヶ月の子です」
銕三郎(てつさぶろう 20歳 のちの鬼平)が、むきになって正した。
事態が呑みこめなくて首をかしげている母・妙に、銕三郎が2年前の阿記(あき 当時=21歳)との成り行きを説明する。
【参考】阿記とのなれそめ 2008年1月1日[与詩を迎えに] (12) (13) (14)
(北斎『させもが露』)
「まあ。おめでたい話ではございませんか。でも、男のお子でしたら、もっとよろしかったのに---」
「妙。じつのところ、銕の子なのか、前の夫の種なのか、まだ、決まってはいないのだ」
「いいえ。鉄三郎の子に決まっております」
「どうして、わかるのだ」
「殿さま。ご自分の時のことをお考えになってごらんなさいませ。殿さまと私とは、婚儀もあげていないのに、銕三郎をつくりました。私が、ややができました、銕三郎を孕みました、とお告げしました時、殿さまは、別の殿ごの種だとお思いになりましたか?」
「妙には、ほかに男がいなかったではないか」
「それでは申しあげます。その阿記さんというお方が、銕三郎の子だとおっしゃったら、お信じになりますか?」
「それは---」
「女には、子どもがお腹に宿った瞬間の時のことが、ふしぎと感じとれるのでございます」
【ちゅうすけ注】阿記に銕三郎の子が着床したと想像できる夜 2008年2月1日[与詩を迎えに] (38)
「しかし---」
「いいえ。私が、阿記さんに会って、お話を聞いてまいります。阿記さんが、銕三郎がその子の父親だとおっしゃってから、あとの手だてを考えても、遅くはないのでございませんか。お子は、もう生まれてしまっているのですから」
「うーむ」
「しかし、母上。あとの手だて---と申しましても、阿記どのからは、何も申してきてはいないのです。箱根で荷運びをしていた者から聞いただけなのです」
「お黙りなさい、銕三郎ッ。あなたは、なぜ、阿記さんは、お子が宿ったこと、無事に生まれたこと、育っていることを、あなたに、まったく、知らせてこなかったか、考えたのですか? 長谷川の家名に傷をつけてはならない、といじらしくお考えになったからではないでしょうか? 私には、痛いほど、わかります。そなたがお腹の中に宿った時、どのように、殿さまへお伝えしようか、すまいかと、何日も何日も悩みました。殿さまは、その時は、2代つづいての冷や飯のご身分でしたから、お困りになるだろうと---」
「おいおい。そんな昔のことを持ち出さなくても---」
「いいえ、殿さま。あの時の私は、村長(むらおさ)のむすめといっても、お武家さまの正妻になれる身分ではございませんでした。それでも、平蔵宣雄という男の方が好きで好きでたまりませんでした。大きなつつんでくださるお方におもえたからです。この殿ごのお子を産みたいとおもいました」
妙の目からは、大粒の涙がこぼれはじためた。
銕三郎も、自分の出生の筋立てを、あらためて聞き、感じいっていた。
「阿記さんとおっさしゃる方も、銕三郎のことが好きで好きでたまらなかったから、身をおまかせになったのでしょう。箱根へ行って、お会いしてまいります。そうしないではいられません」
「母上。拙もお供をいたします」
「いいえ。銕三郎がいては、筋立てがもつれるだけです。そなたは残っていなさい」
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