〔中畑(なかばたけ)〕のお竜(4)
猿橋では、〔阿良居(あらい)〕六郎兵衛方に宿をとった。
(甲州道中分間延絵図 [猿橋]部分 道中奉行制作)
日本三大奇橋の一つ---猿橋は、着いたのが日暮れてからだったので、明朝、明けてから発(た)つことにし、そのときに眺めることにした。
銕三郎の時代のあとの奇橋は、岩国の錦帯橋、木曾の桟橋(かけはし)だったが、いまは、桟橋に代わって四国の祖父谷(いや)のかずら橋がかぞえられている。
(猿橋 『諸国道中金之草鞋』)
この夜も、晩飯に酒を添えてもらった。
徳利を手にしたとき、
「長谷川さま。酌をさせてくだせえ」
入ってきた者がいた。
「なんだ、寅松どのではないか。どうした?」
「ま、話はゆっくりだで。とりあえず、一杯(いっぺえ)、召しあがれ---」
「酔わせて、掏(す)るつもりではあるまいな」
「ご冗談がすぎるで---」
〔からす山〕の寅松(とらまつ 17歳)は、銕三郎(てつさぶろう 23歳 のちの鬼平)の手から徳利をとって、酌をした。
銕三郎は手を打って女中を呼び、とりあえず急いで盃を一つ、あと、膳と酒を追加した。
「お流れをいただきます」
注いでやると、
「これで、親分子分の固(かた)めということになっただで」
「なんだ、固めって---」
「あっしが、長谷川さまの子分になった---ということだで--」
「そんなこと、頼んはでおらんぞ」
「頼まれなくっても、こっちはそのつもりだで---」
「勝手にしろ」
「勝手屏風は2曲が定(き)まり、畳めば面(つら)がぺったりこん---番(つがい)のように離れんだで」
【ちゅうすけ注】勝手屏風---台所で使う背の低い2つ折りの屏風。
「どうして、ここに宿をとっているとおもった?」
「野田尻と犬目の旅籠にお泊りじゃなかっただで、てっきり、猿橋と見当をつけた。八王子が〔油屋〕だっただで、格からいって、猿橋ならここと---」
(甲州道 駒飼-猿橋-八王子 『五街道細見』付録図より)
「指先だけじゃなく、目はしもきくんだな」
「目はしがきかきゃ、空の財布を掏るばかなことになっちまうだで--」
「おれの紙入れの中まで見通しか?」
「長谷川さまは、紙入れには2分ほどしか入れておられん。あとは、腹に巻いて---」
「驚いたな。どこで見たのだ?」
「深大寺の〔佐須(さず)屋〕で、大橋さまの分をお立替えになるとき、ちょっと腹へ手をおやりになったが、紙入れの分で用が足りたので、そのままお立替えになっただで。それで、1分をご息女の馬料としてお渡しになった。それから八王子まで、茶店にもお立ち寄りにならなかったのは、紙入れの中身がほとんど空だったからとみた---」
「あきれたな。しかし、おぬしは、〔油屋〕で、ふとんの下の紙入れに手をのばした---」
「〔油屋〕で、風呂をお遣いになったときに紙入れへ補充なさった。その額は、1分金2枚(約8万円)」(『日本貨幣カタログ』より)
「どうして、そこまで?」
「〔油屋〕で前ばらいなさった旅籠賃は、2朱(約2万円)でお釣がきた。お釣の半分を、女中へこころづけとしておやりになった」
「おいおい---」
「1日の旅費を3朱(3万円)ときめておいでだで---昨日の晩の紙入れには1分2朱(6万円)のこっていた---」
「話の途中だが、ちょっと、一人で呑んでいてくれ」
「どちらへ?」
「帳場へ行って、宿賃を前払いして、ついでに腹にまいた金と紙入れを預けてくる」
「長谷川さま。酒代(さかでえ)はあっち持ちと、番頭に言っといてくだせえ」
【参照】[〔中畑(なかばたけ)〕のお竜〕 (1) (2) (3) (5) (6) (7) (8)
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