〔真浦(もうら)〕の伝兵衛(2)
木更津湊の船番所が手くばりしていた愛染((あいぞめ)院脇の旅籠〔矢那(やな)屋〕に落ちつき、昼餉(ひるげ)をすますと、銕三郎(てつさぶろう)は、松造(まつぞう 20歳)にこっそり言いつけた。
(木更津湊に近い愛染院)
「ここから離れた蝋燭を商っている店舗(みせ)を見つけ、ぶら提灯2張と蝋燭を20本ばかりを買い、この旅籠から桜井村の下諏訪明神社までの道順を描いてもらってきてくれ。くれぐれも有田(祐介 ゆうすけ 31歳)同心どのと供の小者には気どられないこと、それと、こちらの身許も隠しておけ」
夕刻まで、銕三郎と有田同心は、船問屋を10軒ほどまわって、〔真浦(もうら)〕の伝兵衛(でんべえ 28歳)と江見村の佐吉(さきち 18歳)らしいのが、荷役人(にえきにん)としてもぐりこんでいないか、調べた。
相手方には、火盗改メであることを隠さなかった。
有田同心は、隠しておいたほうが、こちらの動きが見えなくてよろしいのでは---と気がかりを口にしたが、
「永井組が、一昨日の継(公用)飛脚便で、飯野藩の陣屋や代官所、それに船番所などへの、有田さまのお出張りのお達しで、村中、知れわたっております。探索の狙いをおあかしになれば、ご用への反感も消えましょう。伝兵衛も佐吉も安房国朝夷郡(あさいこおり)の人間で、土地(ところ)の望陀郡(もうだこおり)からみれば、他国(よそ)者でしかありませぬ」
「おらが国さの者ではないということか」
「そうです。安房と上総の国分けは、大権現さまの世になってからでも、50年を経ております」
(さて。〔真浦〕の伝兵衛め、おのれが捜されていることを耳にしたら、どちらへ逃げるか? 安房か、江戸か?)
夕餉で膳についた酒を、銕三郎は有田同心へゆずり、さらにお代わりを運ばせた。
松造にも、小者にうんと飲ませるように言いつけておいた。
が床についてすぐに寝入ったのを見とどけた銕三郎は、真っ暗い道を、頭に道順をたたきこんだ桜井村の下諏訪明神社へいそいだ。
15丁ほどは田んぽ道であった。
昼間は春めいたほの暖かさであったが、遅くなりはじている陽が沈むと、さすがに顔にあたる風は冷たい。
拝殿と本殿は、小高い丘の上にあったが、訪れたのは、岡の下の神職の屋敷である。
(木更津・桜井村の諏訪神社)
暮れていたので、銕三郎は拝殿を見なかったが、神域を視野におさめていたら、甲斐国八代郡(やつしろこおり)の中畑(なかばたけ)村のそれとあまりにも似ていることに驚いたはずである。
そして、そこに巫女姿のお竜がいてもおかしくないとおもったであろう。
案内(おとない)を乞うと、待ちわびていたように、お竜(りょう 32歳)が戸口にあらわれ、手をとらんばかりに部屋へみちびいた。(歌麿 お竜のイメージ)
「お酒(ささ)にしますか?」
「うむ。〔五井(ごい)〕の亀吉(かめきち 30がらみ)は?」
「亀吉どんをご存じでしたか。おそろしいお方。あの人は、今夜は縁者のところへ泊まっています」
「ここへは、お竜どの、独り?」
「はい。おせきにならないで。お神酒(みき)をもらってきます」
おたがいに盃を注ぎかわしながらも、お竜は遠慮して、躰にふれてこない。
「銕(てつ)さまのお連れは、火盗方のお役人ですね? 一目でわかりました」
「有田同心どのとは、2年前の駿府、掛川への旅もいっしょであった」
「掛川から相良への旅、今でもおもいだしております。楽しゅうございました」
「拙も---」
「お忘れかと、あきらめておりました」
「なにゆえ、そう、おもった?」
「男のお子もお生まれになったのですね」
「うさぎ人(にん)の小浪(こなみ 32歳)だな?」
「みんな、つつぬけでございます。ふっ、ふふふ---」
酒をさした銕三郎の手首をとったお竜が、
「銕さま。お話が遠すぎます。もっとお傍(そば)へ寄ってよろしゅうございましょうか?」
「うむ。お竜どのがそのほうがよければ---」
「お竜どの、じゃなく、お竜と呼んでくださる約束です」
お竜は、さっと横に移り、右手で銕三郎の肩をだき、胸をもせかけ、盃を銕三郎にふくませて、
「銕さま。寺嶋村でしたように、いっしょに湯をあびてくださいますか?」
「この社に、いいのか?」
「江戸での情人(いろ)だと、断ってあります」
「ここは まさか〔蓑火(みのひ)の盗人宿では?」
「いいえ。中畑(なかばたけ)のお諏訪さまのお引きあわせです。〔狐火(きつねび)〕ともかかわりはありません」
【参照】2008年11月27日[諏訪左源太頼珍(よりよし)] (3))
2009年4月29日[先手・弓の組頭の交代]
湯からもどったお竜は、うれしげに床をのべた」
「お竜。悪いが泊まることはできぬ。五ッ半(9時に迎えがくる」
「はい。それまで、伏せってお話を---」
お竜の旅の的(まと)は、〔白駒(しろこま)〕の幸吉(こうきち 30がらみ)という盗人の身元調べであった。
【ちゅうすけ注】、〔白駒〕の幸吉は、『鬼平犯科帳』文庫巻9[鳥越・浅草橋]に、本所・二ッ目の裏で小間物屋をやりながら、ハエアナのような盗みをやっている盗人。これはその20年前の行状。
幸吉は上総国長柄郡(ながらこおり)白駒村(現・千葉県君津市白駒)の出である。
同村・熊野下の白駒社の脇の貧農の3人目の余計な子として生まれた。
【参照】君津市の白駒神社
亀吉の方は、その白駒村から7里ほど北の五井村(現・同県市原市五井)の育ちで、〔蓑火〕のところの2番手の子頭だが、かつての縁でお竜の手引きをしてくれることになったのだと。
「ですから、わたしも、明日の朝は亀吉どんと伊南(いなん)房州街道を南へ下るのです。銕さまは?」
「船で、外房へ---ところで、〔白駒〕のは、なにをしたのだ?」
「〔狐火〕一味の恥をさらすことになるので、お訊きにならないで---」
掌で口を銕三郎のふさいだお竜が、また、上に乗ってきた。
「すこし、肥えたか?」
「おいや?」
「痩せたのでは、心配になる」
「うれしい」
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コメント
あ、辰蔵さんが生まれているのに、また、お竜さんと逢引きですか。いけませんねえ。
でも、男性にとっては、タイプの違う女性を識るのも、人生を極めるコツの一つなんでしょうけど、久栄さんには、ぜったい内緒にしてあげてください。
投稿: kayo | 2009.05.22 06:52
>kayo さん
お竜のほうがしかけたのですが、それに乗る銕三郎も困ったものですね。
『鬼平犯科帳』では、銕三郎はこのあと、京・八坂神社の脇の茶店〔千歳〕のお豊の誘いに乗ってしまいましたね。
投稿: ちゅうすけ | 2009.05.22 11:29