火盗改メ・中野監物清方(きよかた)(3)
被害店の白粉問屋〔白粉問屋〔福田屋〕文次郎方の訊き書きに、店がこの1年のうちにの新しく雇った店の者3人の、名前が記されていた。
その中の1人---
お客さまの化粧(けわい)指南がかり
お宮 30歳 生国・甲州八代郡(やつしろこおり)中畑村
(たしか、お勝(かつ)は、掛川城下の高級料亭〔花鳥(かちょう)〕の座敷女中をしていたとき、お宮と名乗っていたが---)
【参照】2009年1月23日~[掛川城下で] (3) (4)
〔中畑(なかばたけ)〕のお竜(りょう 32歳)の誘いで、〔狐火(きつねび)〕が向島に構えていた寮に泊まったときのお勝の寝姿をふっとおもいだして苦笑した。
(あれで、お客さまの化粧指南がかりとは、な)
【参照】2008年11月27日[諏訪左源太頼珍(よりよし)] (3)
銕三郎(てつさぶろう 26歳)は、訊き書きの先へ目をはしらせた。
今春、〔福田屋〕の主人・文次郎(ぶんじろう 38歳)と一番番頭・常平(つねへい 45がらみ)が、仕入れ先の京の御幸町三条下ル東側の白粉問屋〔雁金屋〕権吉方と、四条通麩屋町東入ルの口紅問屋〔紅屋〕平兵衛方へ年賀をかねて注文をしての帰り、掛川城下に一泊し、〔花鳥〕で食事をしたとき、給仕に出たお宮を見たとたん、文次郎がお客さま化粧指南というあたらしい職種をおもいついたらしい。
いまのことばでいうと、メイクアップ・デモンストレイター---美容部員である。
(京の白粉問屋〔雁金屋〕 『商人買物独案内』)
(同じく口紅問屋〔紅屋〕平兵衛 同上)
話をかけてから、1ヶ月後に、お宮(じつは、お勝)が江戸へくだってき、〔福田屋〕に住みこみ、指南がかりをはじめた。
根が美形のうえ、客あしらに卆がなので、たちまち、看板むすめならぬ、看板年増---いや、化粧指南師となった。
しかし、賊が押し入った夜も、みんなといっしょに縛られていた。
不審なところはないと書かれている。
銕三郎は、あえて、この件の掛かりの同心・田口耕三(こうぞう 30歳)に質問したりはしないかった。
「だいたいのところは、分かりました。もし、お差し支えがなければ、いちど、〔福田屋〕をあたってみたいとおもいますが--」
「手前が案内します」
田口同心が申しでた。
「こちらの役宅から、さほどもないので、これから、ご一緒いただけましょうか?」
2人は、日本橋3丁目御箔屋町の〔福田屋〕へ向かった。
道中、田口同心が、
「飯炊き婆ぁが、押しこみの翌日から姿を消しました。あれが一味とおもわれます」
「そうかもしれませぬな」
銕三郎は、生返事をしながら、それとなく、この事件を最初に手がけた前任の石野藤七郎唯義(ただよし 65歳 500俵)組の担当与力と同心の名を聞きだした。
石野組の組屋敷は鍋弦町にあった。
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