火盗改メ・中野監物清方(きよかた)(2)
神田橋ご門外の中野監物清方(きよかた 49歳 300俵)の役宅へ行ってみると、家禄300俵にしては、かなり広い屋敷地であった。
もちろん、神田橋門外という江戸城に至近という地の利のいい拝領地にしては---ということだが。
銕三郎(てつさぶろう 26歳)の目分量で、
(ざっと、600坪というところか)
600坪といえば、600石から800石の幕臣が拝領する広さである。
長屋門もどっしりとしている。
(600石級の旗本の家だったのではなかろうか)
銕三郎は、大奥の力を目のあたりにした気分であった。
絶家した600石級の家屋敷をそのまま引きついだのであろう。
いまさらいうまでもなく、火盗改メの役宅は、『鬼平犯科帳』に書かれている清水門外ではなく、組頭の屋敷がそのまま使われるのが史実。
銕三郎は、与力部屋へ通された。
待つまもなく、筆頭与力・村越増五郎(ますごろう 50歳)があらわれた。
2年ぶりの対面であったが、鬢の白いものが目立つほどふえてる。
「この前のときのお勤めは冬場の助役(すけやく)でしたが、今回は本役(ほんやく)なので、いささか気がはっております」
「お役目、ご苦労さまでございます。その節は、 〔墓火(はかび)〕の秀五郎(初代)の妾・お末(すえ 45前後=当時)にご寛大なお取りはからいをいただき、面目をほどこしました」
銕三郎は恐縮した口ぶりである。
【参照】2009年3月23日~[〔墓火(はかび)〕の秀五郎・初代] (1) (2) (3) (4) (5) (6)
「いろいろとご出精のおもむき、あちこちから耳にはいってきておりますぞ」
「お恥ずかしいかぎりです」
「ついては、また、ご助力をいただきたいとおもいましてな、お頭(かしら)に言上したところ、ぜひ、お目にかかりたいとのことで、お越しを乞うた次第です
村越筆頭の言葉が終わらないうちに、若い同心に先導された中野監物清方がはいってきた。
「長谷川どののご子息だそうで。役柄で、ご指導を仰いでおります。監物でござる」
背丈はあり、鼻すじのとおった面高の顔だちであるが、痩せており、顔色が冴えない。
臓腑のどこかを病んでいる風情である。
【ちゅうすけ注】いささが先走るが、中野監物は、翌年3月に病死。その5ヶ月前(明和8年10月)から火盗改メの助役(すけやく)についていた平蔵宣雄が、監物の死とともに本役へ横滑りし、目黒行人坂の放火犯を逮捕、その褒賞として京都町奉行へ栄転したことは、このあと、機をみて記す。
「銕三郎宣以(のぶため)でございます。父・平蔵宣雄(のぶお)から、くれぐれも失礼のないようにと言いつかって参じました」
「いや、堅苦しいことは抜きにして、村越与力を助(す)けてもらいたい」
「できますかぎり---」
監物組頭は、若い同心に合図した。
「失礼だが、当座の足代に---」
前に置かれた紙づつみを、頭をさげて受けた。
「頼みごとは、村越与力からお聞きくだされ」
監物組頭は、そう言って座を立った。
足音が消えてから、
「村越筆頭どの。立ち入って申しわけありませんが、殿はどこかお悪いのですか?」
「腎の臓がいささかよくないとおっしゃられております」
「いけませぬな」
村越筆頭与力は銕三郎がすでに顔なじみである、田口耕三(こうぞう 30歳)同心を呼び、いま探索している件を説明させた。
事件は、前任の石野藤七郎唯義(ただよし 65歳 500俵)組から引きついだもので、5月末、梅雨があけた早々に起きた盗難であった。
日本橋3丁目箔屋町の白粉問屋〔福田屋〕文次郎(文次郎 38歳)方に賊が押し入り、260l両(約4160万円)を奪いさられた。
仔細を聞くうちに、銕三郎の眉間が寄った。
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