[鬼平クラス]リポート 10月4日分
静岡駅ビル・SBS学苑[鬼平クラス]の2009年10月4日(日曜日)のテキストは、文庫巻11[土蜘蛛の金五郎]。
シリーズ前に発表され、文庫巻1に収録された[浅草・御厩河岸]もふくめると、第72話目にあたる。
連載が始まって満5年目---『オール讀物』のトリ(最後部に掲載)をとって満3年目、固定読者がふえつつあったときの佳篇である。
ついでにいうと、文庫第1巻が刊行される満1年前。
佳篇といったのは、『鬼平犯科帳』の特徴の一つである、鬼平と岸井左馬之助による凄いチャンパラが書き込まれ、その結果が、額にのめりこんだ刃片を針でほじくりだすというシーンで想像させていること。
鬼平が貧乏浪人に化けて盗賊の首領〔土蜘の金五郎〕をあさ゜むく、化けの楽しみが描かれていること---などからである。
話そのもののモト・ネタは、本所に近隣の貧しいものたちに食事などをほどこす浪人者を、人びとが聖者のごとくあやめているのを聞いた平蔵が、
「そやつ、盗賊なり」
と召し捕らせたら、はたせるかな、盗賊であったというエピソードが、明治時代のなにかに載っていたのを換骨奪胎したものである。
この篇の主役の〔通り名〕の土蜘蛛が、平蔵が火盗改メに任じられたころに刊行された鳥山石燕『画図百鬼夜行』から採られたことは、左欄のカテゴリー[盗賊の通り名検索た・な行]からでもおたしかめいただきたい。
じつは旧版『鬼平犯科帳』には、〔土蜘蛛〕の異名をもつ盗賊の首領がもう一人いた。
巻2[埋蔵金千両]の〔小金井(こがねい)〕の万五郎がそれであったが、ダブリに指摘されたか、新装版では削除された。
池波さんが鳥山石燕『画図百鬼夜行』を愛読していたことは、『剣客商売』文庫巻2『辻斬り』所載の[妖怪・小雨坊]p202 新装版p221 でタネあかしされている。
『画図百鬼夜行』から引かれていると盗賊の〔通り名〕は、ほかにも大どころで〔蓑火(みのひ)〕の喜之助、〔狐火(きつねび)〕の勇五郎、〔墓火(はかび)の秀五郎など、合計15名いる。
篇名、〔通り名〕などから、池波さんには、ネーミングの名人の称がたてまつられているが、上記『画図百鬼夜行』のほかにも〔通り名〕のネタ本かあった。
明治30年代に出た吉田東伍博士『大日本地名辞書』(冨山房)が、池波さんの書斎にあるのを見つけ、ひょっとしたら、盗賊の呼び名は、これに拠っているのではなかろうか---と思いついた。
明治に出たこの辞書についての池波さんの弁。
たとえば、故吉田東伍博士の著書〔大日本地名辞書〕のごときは、手垢のつくまで使用させてもらつてたいるが、ページをひらくたびに、この念の入った、ほとんど半生をかけてなしとげられた業績の恩恵を身にしみて感ぜずにはいられないのだ。([時代小説について] 朝日文芸文庫『池波正太郎自選随筆集 2』)
池波さんは、この『辞書』から250人近い盗賊の〔通り名]を借りている。
---というような話をした。
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今回、とくに紹介したいのは、クラスの一人・大久保典子さんが、京都へ行ったからと、東西の町奉行所跡の石標と表示板の写真を撮ってみえたこと。
ちょうど、ブログは、鬼平の父・長谷川備中守宣雄を語っている。
グッド・タイミンなので、紹介する。
長谷川備中守宣雄が西町奉行として着任した奉行所跡
中京区千本通東側の、現・西ノ京北聖町
敷地坪数3,886坪6分9厘5毛
東町奉行所跡
中京区西ノ京職司町東側付近
敷地坪数5,327坪6分2厘5毛
この現NTTに西日本壬生別館付近、東きは神泉苑の西側より美福通にいたる一帯は、江戸時代に、東町奉行所があつたところである。
この奉行所は、奉行のもとに与力。同心と和ばれる職員をもち、京都の市政一般、すなわち行政、司法、警察全般を担当し、さらに畿内幕府領の租税徴収や寺社領の訴訟処理にも当たった幕府の役所で、西町奉行所(現中京学校付近)と隔月交代で任についた。
しかし、両奉行所それぞれ与力20騎、同心50人で職員の数は少なく、各町の自治組織を利用して市政に当たった。
京都町奉行所が初めておかれたのは、慶長5年(1600)、寛文8年(1668)からは常置の職となって幕末にいたった。
京都市
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コメント
ちゅうすけさんの「鬼平クラス」は、いまでは静岡だけの開講とか。
東京にクラスがあったときに参加しておけばよかったのですが、あのころは、まだ、毎日勤務していて。
定年したいま、残念がっております。
でも、こうしてリポートを拝見しますと、参加気分になれそうです。
お手間でも、つづけてくださいますよう。
投稿: 左衛門佐 | 2009.10.10 06:09
>左衛門佐 さん
そうなんです。朝日カルチャーと江東区の[鬼平熱愛クラブ]が各10年、学習院生涯学習クラブが5年つづきました。
3年ほど前に体調をくずしまして、3クラスともやめさせていただきました。
静岡だけは、長谷川家の記録がのこっているところなので、中央図書館(草薙)に通う利便もあって、月1でつづけています。
そこでの、講義一部をブログへあげています。鬼平ファンの方には、役立つカテゴリーと自賛していますが、左衛門左さんのようなベテラン・ファンに認められて、ていへんに嬉しく感激しております。これからもお付き合いくださいますよう。
投稿: ちゅうすけ | 2009.10.10 07:24