西町奉行・長谷川備中守
京都町奉行の職掌は、鳶魚翁[御所役人に働きかける女スパイ](『敵討の話 幕府のスパイ政治』 中公文庫 鳶魚江戸文庫⑧)から引用しておいた。
【参照】2009年8月13日[与力・浦部源六郎] (3)
滝川政次郎先生『長谷川平蔵 -その生涯と人足寄場-』(朝日選書 1982.1.20 のち中公文庫)は、これに諸寺社の公事(訴訟)が西町奉行所の専管であったとし---、
幕府が最も頭を悩ましたのは、王朝以来の権威を誇る京都の古寺社の統制と、皇族の住持せられる門跡(もんぜき)寺院、比丘尼御所の取扱いであって、こればかりは幕府の武威のみではどうにもならない厄介な問題であった。
これらの古寺社等の役者なるものは、いずれも学識に富み、弁舌もさわやかである。しかのみならず、彼らは応仁の乱以来、猫の目のように変った京都の支配者の中を巧みに泳いできた海千山千の世間師であって、訴訟戦術にも長じている。
その一つの例に、広沢池(右京区西町)の漁業権をめぐる宮門跡・仁和寺(にんなじ 右京区御室)と摂家門跡・大覚寺(右京区嵯峨)の公事争いがあった。
(御室仁和寺 『都名所図会』)
(広沢池 『都名所図会』 塗り絵師:ちゅうすけ)
どちらもゆずらず、しょっちゅう、西町奉行所へ訴えていたという。
備中守宣雄(のぶお 55歳)が真面目に双方の主張に耳をかそうとしたところ、馴れっこにな.っている公事方で筆頭与力・中井孫助(まごすけ 67歳)が、笑いながら助言したものである。
「お奉行。毎度のじゃれあいですから、放っておかれてよろしいかと---」
「門跡方を放っておいては、公儀の面目がたたぬのでは?」
「いいえ。武家伝奏も禁裏付も、いつものことなので取り合いませぬ」
しかし、滝川先生の前掲書は、宣雄の精勤ぶりを---、
長谷川宣雄の裁決は、むつかしい訴訟当事者を前にして、快刀乱麻を断つ如く、東奉行所が四、五件の事件を処理している間に、西で二十数件も事件が解決してしまうという敏速さで、京都の市民もその明察に服したという。
そうではあるが、銕三郎(てつさぶろう 28歳)は、あいかわらず、不正御所役人の探索の手がかりを求め、〔左阿弥(さあみ)〕の2代目・角兵衛(かくべえ 42歳)などと接触していた。
角兵衛からの使いがきた。
元締・円造(えんぞう 60すぎ)が、誠心院(せいしんいん)の貞妙尼(じょみょうに 25歳)に、〔化粧(けわい)読みうり〕のあがりを、1板ごとに1両2分(24万円ずつ)寄進する話を持って行ったところ、尼は大いによろこび、お礼のしるしに点茶を進じたいから、いっしょに訪ねてきてほしいとの口上であった。
使いの若者は、初めて入った奉行所内の役宅を、ものめずらしそうに見渡している。
「表役所の白洲など、案内してつかわそうか」
銕三郎がいうと、
「めっそうもないことで---」
あわてて帰っていった。
(あの者の吹聴で、おれの株も、祇園あたりであがるかな)
【ちゅうすけ注】滝川政次郎先生『長谷川平蔵 -その生涯と人足寄場-』の、オリジナル朝日選書版と中公文庫版の違いは、本文はほとんどそっくり移されているが、図版類がまるで割愛されている点といえようか。(右は中公文庫版)
名著であるが、注意事項2点。
その1. 寛政7年(1795)に50歳で卒した平蔵宣以の生年を、延享2年(1745)としている。当時は数え齢だから、逆算すると延享3年になる。
その2.火盗改メ時代の平蔵宣以の逸事を、真偽こもごもに記した『よしの冊子』(中央公論社)の刊行前の著作なので、その史実が汲まれていない。この点は、『鬼平犯科帳』も同前。
【参照】2009年8月16日~[現代語訳『よしの冊子』(まとめ)] (1) (2) (3) (4) (5) (6)
★ ★ ★
《特報》
きょうのこのコンテンツで、1,800件だそうです。
足かけ5年間、ちゅうすけの都合では1日もやすまずにつづけてきた結果です。
これからも、体力(知力じゃなく---)のつづくかぎり、記録をのばしていきます。
ご声援のほど、お願い申しあげます。
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コメント
いいご本を紹介していただきました。ちゅうすけさまがお薦めになるほどのご本ですから、きっと鬼平の見方が深まることとおもいます。
書店で文庫の棚を探してみます。なかったら、アマゾンだよりです。
投稿: つうこ | 2009.10.10 05:49
>つうこ さん
いつも、コメントの書き込み、ありがとうございます。
いろいろデータを調べて発表しても、アクセスは増えてきていても、どう感じていらっしゃるのか、反応がないと、なんとなく、滅入ってしまいます。ほとんどのもの書きはそうだとおもいます。
ここのところの、つうこさんのようにコメントしてくださると、つづけていてよかったと感動します。
これからも、よろしくお願いします。
ところで、滝川先生のご本ですが、なにせ『よしの冊子』が活字化される以前のご執筆ですから、平蔵のデータが少なくて四苦八苦なさりながらのご執筆の様子がうかがえて、もの書きのはしくれとしてはご同情申しあげるとともに、その筆法を参考にさせていただいております。
もっとも、学者として大家でいらっしゃったので、風聞のような資料はお使えになれず、ご苦心はたいへんだったでしょう。
そういうところも読み取ってあげながら読むと、とってもおもしろい本です。
投稿: ちゅうすけ | 2009.10.10 07:11
5年間一日も休まず書き続けて今日で1800件のコンテンツ膨大な資料ですね。
私達読者は労せずにして長谷川平蔵を軸にした江戸の知識を得ている事になりうれしい驚きです。
最近はちゅうすけさんの講座でも伺ったことのない京都の事件が登場し、新たな興味と期待に胸膨らませております。
体調不良で大人気の講座を三つも閉講されたのですからご健康にはお気をつけてください。
投稿: みやこのお豊 | 2009.10.10 22:31
>みやこのお豊さん
おはげまし、ありがとうございます。
とにかく、毎日つづけよ---とはげんでいましたら、いつのまにか、1,800件になっていました。1日を新聞小説なみに原稿用紙3枚とみなすと、5,400枚 !
単行本は800枚前後ですから、単純計算で7冊分を書いたことになります。
「鬼平データの宝庫」と自分では呼んでいますが、世間ではどうおもってくれているのか(苦笑)。
投稿: ちゅうすけ | 2009.10.11 06:21