小普請支配・長田越中守元鋪(もとのぶ)(3)
「それがしは、齢で、もはや酒をうけつけぬ躰となりましてな。息・元著(もとあきら 政之丞 36歳 小姓組番士)にお相手させますこと、お許しを---」
長田越中守元鋪(もとのぶ 74歳 980石 小普請9の組支配)が断ったのには、かえって銕三郎(てつさぶろう 28歳)が恐縮してしまった。
政之丞元著は、父に似て長身痩身だが立ち居は、小姓組番士として練られてい、折り目正しく、しかも柔らかかった。
「遠慮もかないませず、ずうずうしく、ご馳走にあいなります」
「お相伴、あいつとめます」
ものなれた手つきで盃をとらせ、注ぐ。
(なるほど、桜田の館(六代・家宣)ご新規召しかかえの長田家のご栄達は、このそつのなさだな)
受けた銕三郎が、訊く。
「どなたさまの組にお勤めでございましょう?」
「西丸の中坊讃岐守(秀亨 ひでみち 57歳 4000石)さまの組に---」
「1の組でございましょうか?」
「さようですが、なにか?」
中坊秀亨が駿府の町奉行をしていたときに、〔荒神(こうじん)〕の助五郎(すけごろう 55歳)一味の盗(つと)めを吟味したことがあると言おうとおもったが、自慢話にとられてもつまらないとおもいなおして、やめた。
中坊讃岐守は、あれから持筒頭を経て、小姓組番頭(3000石高)になっていた。
【参照】2009年1月12日[銕三郎、三たび駿府へ] (6)
替わりに、
「柴田日向守(康闊 やすひろ 2000石)さまが小普請お支配のころに、父がそのお組に入っておりました」
「柴田さまなら、てまえが本丸から西丸お小姓組へ移ったのと同日に本丸4のお組頭から組替えで転じてこられ、その組下iなりました」
半分居眠りらしていたような元鋪がことばを挟んだ。
「奇縁じゃの」
【参照】2008年6月28日[平蔵宣雄の後ろ楯] (9)
同日づけで柴田日向守と政之丞元著が西丸へ移ったことが奇縁なのか、宣雄が日向守支配の組にいたことがあったことを指しているのか、銕三郎は判じかねたが、うなずいておいた。
(父上は、目立たないようにしていたらしい)
「西丸の書院番組に、初見(はつおめみえ)仲間の、長野佐左衛門孝祖(たかのり 28歳 600石)がおります」
「ここ、本郷元町に屋敷をお持ちの長野うじなら、3の組です」
「そのように、申しておりました」
【参照】2009年6月17日~[銕三郎の盟友・浅野大学長貞] (1) (2)
また、元鋪が口をはさんだ。
「地下官人(じげかんじん)の中でも、高屋遠江はすこぶるつきの悪(わる)じゃ」
【参照】2009年9月22日[御所役人に働きかける女スパイ] (3)
2009年9月23日[ 『幕末の宮廷』因幡薬師 ]
元著が苦笑まじりに躰を銕三郎のほうへかたむけ、
「どこも悪くはないのですが、耳が遠くなりましてな」
「上つ方のほうで、余人をもっては替えられぬとお考えなのでしょう」
{忘れられているのですよ」
「まさか」
「聞こえておるぞ、悪口は---」
元著が肩をすくめた。
銕三郎の勘ぐりは、
(余計な暗示を与えたかな---)
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