茶寮〔貴志〕のお里貴(りき)(2)
神保小路の角で東と西に別れるとき、夏目藤四郎信栄(のぶひさ 22歳 300俵)が、
「では、10日後の18日の九ッ(正午)に〔貴志〕で---」
「承知した、昼餉(ひるげ)を---」
平蔵宣以(のぶため 28歳 400石)が手をふって、東へとった。
(きょう、相続したばかりなのに、なんだか、一人前の旗本の気分だ。家禄を継ぐということは、こういうことなのだな)
表猿楽町の通りを本所へ向かって歩をすすめながら、ひとりでに頬がゆるんでいた。
三ッ目の屋敷には、はやばやと佐野与八郎政親(まさちか 42歳 1100石 西丸目付)が祝いにきており、辰蔵(たつぞう 4歳)を膝にのせて久栄(ひさえ 21歳)と話していた。
【参照】2008年11月7日~[西丸目付・佐野与八郎政親] (1) (2) (3)
2009年7月11日[佐野与八郎政親]
「これは、佐野の兄上。宿直(とのい)と聞いておりましたので、お見えにはなるまいと、よそで野暮用をすませており、失礼いたしました」
「弟分の祝着ごとゆえな---」
「拙の跡目はそれとして、兄上のところの与次郎政敷(まさのぶ 18歳)どのの初お目見(めみえす)は、いかがでごとざいますか?」
「うむ。体調がな---」
「それはご心配なことで---」
久栄が辰蔵を伴ってさがったので、
「兄上。じつは、遅くなりましたのは、一ッ橋の前、三番火除地角の茶寮〔貴志〕で昼餉を、ある仁と摂っていたからです。あの地に、あのような店が許されたのは---」
「そのことは、柳営では、禁句になっておる」
「禁句?」
「宿老さまたちのなされたことゆえ---」
「合点がまいりませぬが---」
「出仕すれば、わかる」
政親の口ぶりから、この話題をつづけてはならぬと察した平蔵は、お里貴(りき 30がらみ)のことも呑みこんだ。
与八郎がほどなく辞したので、久栄に、夏目藤四郎に嫁いだ菅沼家(700石)の三女・菸都(おと)のことを訊いてみた。
「大橋の実家がご近所といいましても、あちらさまとでは家格がちがいましたゆえ、手習いごとでごいっしょしたことはありませぬが、それは美しい姫でございました。銕(てつ)さまなら、一目ご覧になっただけで---」
「馬鹿」
「は?」
「きょうよりは、銕三郎(てつさぶろう)なる者は、当家にはおらぬ」
〔殿さま、でした。でも、寝室(ねや)では銕さまでないと、気分が高まりませぬ」
「ばーか---は、ははは」
「う、ふふふふ」
「親類衆がまもなくお見えになろう。着替えを」
「かしこまりました、お殿さま」
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