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2010.06.15

進物の役(2)

「進物の役についたのは、西丸の書院番4の組へ配された、23歳のときであってな」
20年よりもっと昔をたぐりよせるような、菅沼藤十郎定亨(さだゆき 46歳 2025石)のつぶやきであった。

定亨は去年から、先手・弓の2番手の組頭で、火盗改メ・本役に就いていた。
昔ばなしをする年齢でもないし、また、役宅では職務のほかのことはほとんど口にしない。

音羽・青柳町の料亭〔巴屋〕で、勤めていたことのある西丸の書院番4の組に出仕して間もない長谷川平蔵(へいぞう 30歳)を前にして、両番(書院番と小姓組)の花形である進物の役のことを口にしたために、なつかしさがよみがえったらしい。

組の筆頭与力を勤めている脇田清助(きよよし 47歳)が、珍しい成り行きになってきたと好奇の目をかがやせ、油をそそいだ。
「お頭。23歳で進物番に抜擢なされたのは、いかにも、ご器量がおすぐれになっていたのでございますな」

たしかに藤十郎は、肌の張りこそ失っているが、面立ちはいまでもととのっており、声も澄んでいた。

脇屋筆頭の油を、世慣れている〔音羽(おとわ)〕の若元締の重右衛門(じゅうえもん 49歳)がさらに団扇であおった。
「お殿さま。ご書院番にお勤めになりまして、どれほどで?」

ちょっと考えるふりをし、
「番入りが宝暦(ほうりゃく)9年(1959)であったから、3年とは経っていなかったとおもう」
(おれが、この11月に選抜されると、8ヶ月)
平蔵は試算したが、まったく別の言葉で油をたした。

「進物番が、こころえておくべき一事を、お漏らしいただけましょうか?」
「うむ、そのことよ。はばかりだな」
「はばかり? 厠(かわや)でございますか?」
「その厠---」

藤十郎定亨は、真面目な顔で話した。

正月3日の夕刻には、毎年、謡曲始めの儀式が大広間でおこなわれる。
出座の将軍をはじめ、老職のお歴々はみな、肩衣(かたぎぬ)に長袴(ながばかま)で連(つら)なる。
進物番も同じ衣裳でうしろにひかえている。
猿楽太夫観世左近が四海波を奏するうちに、獻酬がすすみ、十獻が終わると将軍が肩衣を抜いて大夫に与え、つづいてお歴々も肩衣を進物番の手から猿楽の衆に賜う。

このときの長袴の足さばきがむずかしい。
前にすすむときは、前をつまみ、袴にゆとりをあたえて踏みだすからいいが、左右に曲がるときに美しい裾さばきができないと顰蹙(ひんしゅく)をかう。

それは練習で体得するとして、小用のときは、いちど袴をぬがないと粗喪(そそう)をする。
だから、数刻j前から水分を控えた。
しかし、老齢のお歴々は小用が近いから、厠がつかえがちになった。
老職に後ろで待たれると、若輩としては先をゆずらないわけにはいかない。

定亨がいかにも困ったという顔をしたので、みんな笑った。
「いや、笑いごとではないぞ」
たしなめた当人も笑った。

(なるほど、お頭(かしら)となったら、こういう、罪がなくて、それでいて(なるほど)と合点がいく話題をいくつも手持ちしていなくてはならないのだな)
平蔵は、菅沼定亨の人柄に、より親近感をおぼえた。

進物の役の大紋(だいもん)・長袴という晴れ着の着用は、正月の公開能楽興行のときである。

参考大紋・長袴

松平太郎さん著『江戸時代制度の研究』(柏書房・復刻)を現代文に直して写すと、

能楽興行のとき、大夫に報償する青差(あおざし 一文銭を1000枚を青い麻縄を通してまとめた棒状の下賜用の物)を舞台に運び、井桁に積み上げる。
精妙な技術を要するので、その年、その役にえらばれた進物番士は、20日も前から練習したという。

松平太郎さんは、進物の役に選ばれた士は、その後の出世も早いと、補記している。


参照】2010年6月14日~{進物の役] () () () (

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