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2010.06.16

進物の役(3)

「まあ、このことは、進物番の師範役もきびしく伝えることのようだから、ここでこことさらに申すことでもないが、ご三家をはじめ、すべての藩のご当代とご継嗣の名、時献上をおぼえておくこと」
火盗改メ・本役の菅沼藤十郎定亨(さだゆき 46歳 2025石)の老婆心がつづいた。

藤十郎定亨は、平蔵(へいぞう 30歳)が提案した香具師(やし)の元締衆へ手札をわたして夜廻りの助(す)けが成果をあげはじめたので、報いの一席をも設けた。

音羽・青柳町、護持院前の料亭〔巴屋〕であった。

時献上とは、季節ごとのあいさつを品物で表わすしきたりであった。
たとえば、親藩の雄---尾州藩の時献上を写してみよう。

正月3日  御盃台
   7日  長鮑御樽
上巳     同断
帰国御礼  3種2荷
帰国上使  2種1荷
4月18日  志津幾鰤
4月     小鮎酢
45月内   鮎酢
4~8月   宿次10度
6月朔日  氷餅
67月内   上条瓜
暑中     品不定
7月6日   御鯖代黄金
910月    甘干柿美濃柿 2,3度
11月     御在府之御時計御茶、御水菓子類(くだもの)、
        生御肴御樽、宮重大根
12月     干御魚鯛腸塩辛うるか、粕漬鮎、枝柿1箱、雁、鶴

小藩の代表として1万石の駿河国小島(おじま)藩(松平丹後守)

寒中     奥津鯛

長谷川家の先祖が在城していたこともある、駿河国田中藩4万石はどうであろう。
藩主は本多氏。前藩主の伯耆守正珍(まさよし)は、亡父・宣雄を近づけていた。

正月3日  御盃台
   7日  奥津鯛
在着御礼  2種1荷 
6月     足久保煎茶
9月     栗
1112月   塩鴨

まあまあの回数と品である。

長谷川うじ。落ち度は、田中藩のような、小藩とはいえず、そうかといって中藩でもない藩におきがちなのでありますぞ。くれぐれもごの留意をなされい」
「承りました」
とりあえず、だまって頭(こうべ)をさげておいた。

たしかに、油断しそうであった。
しかし、本多伯耆守正珍は老中を務めていた。
こういう中の下の藩が明敏な藩主を輩出しやすい。

諸侯からの時献上に対し、将軍の側も見合うだけのものを返していたようである。
つまり、儀礼であった。

そのために50人もの進物の役を---と考えるか、幹部候補生を諸侯に顔見世させ、将来の外交に資したと考えるかは、それぞれであろう。
むだ金のように見えても、後年になって生きる金もある、人材に投じた金はとくに。

参照】2010年6月14日~{進物の役] () () () (


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