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2010.06.02

火盗改メ・菅沼藤十郎貞亨(さだゆき)(7)

「お知り合いでしたか?」
男たちが自分の後ろ姿に見とれていてるいるといわんばかりの科(しな)をつくって、帳場へ去っていくお(はす 30歳)を眼で追いながら、権七(ごんしち 43歳)が、声をひそめて訊いた。

「ちょっと、な。ここは、なんという店名だったかな?」
「女将の名からとって〔蓮の葉(はすのは)〕と---」
(そういえば、門口の大きな水がめに、蓮の葉が浮いていたな。雑司ヶ谷(ぞうしがや)の鬼子母神(きしもじん)脇の料理茶屋〔橘屋〕の女中あ頭・お(えい 43歳)なら、「蓮っ葉(はすっぱ)と読むだろう)

参照】2008年10月12日[お勝(かつ)というおんな]

「いつでもいいから、女将の金主(きんしゅ)を調べてみてもらいたい」
「かしこまりやした」

厠をつかう権七を置き、平蔵(へいぞう 30歳)は座敷へ戻った。
長谷川さま。いまも千住の〔花又(はなまた)〕の元締と話しておりやしたが、火盗のお頭さまからお手札をいただくときには、血判を捺した誓紙(せいし)のようなものを差しだすことになりはしないかと---」
馴染んでから長い〔音羽(おとわ)〕の重右衛門(じゅうえもん 49歳)が問いかけた。
元締たちのあいだで、話題になっていたのであろう。

「血判まで大げさなことはあるまいが、ふつうの誓文(せいもん)ぐらいは求められるかもしれないな」
「それでやんす。じつは、そういうものにとんと疎(うと)い商売でやして---」

音羽〕の住まいから大塚・富士見坂上の火盗改メのお頭・菅沼藤十郎貞亨(さだゆき 46歳 2025石)の役宅も、目白坂上の先手・弓の2番手の組屋敷も近い。
平蔵の引き合わせ状をもって、脇屋筆頭与力から誓紙の雛形を書いてもらい、それぞれの元締衆にくばればいいと教えて、安堵させた。

帳場から硯と筆を運ばせ、懐紙にさらさらと認(したた)め、上紙でつつむ平蔵の手ぎわを、品川宿を取りしきっている〔馬場(ばんば)〕の与左次(よさじ 48歳)が感心したような顔で見ていた。

「〔音羽(おとわ)〕の元締。これは、菅沼のお頭と拙とが取り交わした約束ごとですが、元締衆の夜廻り組は、盗賊を捕縛するのが任務ではなく、賊をみかけたら、気づかれないように尾行(つ)け、その者が入った家の戸口の柱なりなんなりに印をつけてから、役宅へ急報するだけにとどめることで、手札が下されるのです。このこと、とくとおこころえおきください」

つまり、十手を下付するのではないといったに等しい。
もっとも、岡っ引きと呼ばれた銭形平次のような十手持ちも、町奉行所の与力・同心といつしょでなければ公式の捕縛はできなかったという。

宴が終わり、それぞれが南と北と西へ別れ、平蔵松造(まつぞう 24歳)は小名木(おなぎ)川ぞいに東へ帰るのに、権七がつきそった。
菊川橋たもとの船宿〔あけぼの〕から舟で横川を黒船橋まで帰るという。

「駕篭屋の主(あるじ)が舟では、しまらないな」
平蔵が冷やかしたのにもさからわず、
長谷川さま。〔蓮の葉〕になにかご不審でも---?」
「まさか、さんが金主ではあるまいな?」
「とんでもねえ」
「蓮って店名にひっかかっているだけだよ」

それより、と、松造に、
「供の間で酒と食い物をだされた、〔馬場(ばんば)〕と〔花又〕の若い者は、どうだった?」

松造によると、〔花又〕の若いのは伊造(いぞう)という23,4歳のいい男であったが、酒にはまったく手をつけなかったが、〔番場〕の下っ端の丹吉(たんきち)は、まだ19歳だというのに徳利のお代わりを女中にせびり、その尻をなぜたと。
「手札を下げられてからの、先がおもいやられるな」
平蔵がつぶやくと、権七が、
「事をしつらえて、手札を取りあげりゃあいいんでさあ」
「いや。悪には悪がふさわしいときもある」


参照】2010年5月27日~[火盗改メ・菅沼藤十郎定亨(さだゆき)] () () () (4) (5) () () (

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コメント

香具師の元締たちを操る設定というのがおもしろいです。
池波先生は、梅安もので、殺人を請け負う役をふっていらっしゃいましたが、ちゅうすけさんは、密偵代わりにも統御なさろうというのですね。

投稿: 左衛門左 | 2010.06.02 10:22

>左衛門佐 さん
いつにかわらないお励まし、ありがとうございます。どんなに勇気づけられておりますことか。

香具師の世界なんて、子どものころに縁日の口上売りをみたくらいで、あとは『仕掛人・藤枝梅安』と「賭博」の参考書でのぞいた程度です。
もっとも、いちばん最初に井関録之助がらみで〔木賊(とくさ)〕の林造を造形してしまったので、コワイところが薄くなりました。
品川一帯の〔馬場(はんば)〕の与佐次あたりから悪が描けるかもしれません。
気長におつきあいください。

投稿: ちゅうすけ | 2010.06.02 14:37

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