〔七ッ石(ななついし)〕の豊次(2)
「地蔵のなにをお識(し)りになりたいのかな?」
寛永寺の執事僧の頭代・聡達(そうだつ 50がらみ)が、救いがたい衆生(しゅじょう)といって目で平蔵を見くだしながら訊いた。
上野の山では、早くも冬じたくにとりかかっていた樹々が目立った。
(寛永寺 4図中の1 『江戸名所図会』 塗り絵師:ちゅうすけ)
「身代り地蔵というありがたいお名前の地蔵さまがあるそうですが---」
「別名、延命地蔵ともいわれておる地蔵じゃな。縄目地蔵の別称で尊ばれている地蔵の話をしてしんぜよう」
そのむかし、足利方に追われていた香匂(こうわ)新左衛門という関東武者が、身代り地蔵のある寺へ逃げこんだ。
(姓がいかにも後作の感じ)
出あった僧が念珠をさしのべ、
「そなたはんの血刀をこっちゃへ寄こしなはい」
やってきた追手は、その血刀を証拠に、僧を縛り、牢へぶちこんだ。
翌朝、僧の姿は牢になく、縄とかぐわしい匂いがのこっていた。
足利方の者が件(くだん)の寺を行ってみると、縄目のついた地蔵像が待っていた。
爾来、その地蔵は、世の人たちから縄目地蔵と呼ばれるようになったと。
「どうじゃ、霊験あらたかであろうが」
「みごとな、身代りでございますな」
「身代り地蔵の由来は、いまの話はかかわりない。冥土で地獄におちた者を救い、代りに地獄へ身をお沈めくださるからの尊名じゃ」
「しかし、いまのお話のような念力で、すぐに、地獄から出てお行きになる---」
「あたり前のことを訊くでない。ずっと地獄に沈んでおられたら、身がいくつあってもまにあわぬわ。それほど、現世には、地獄におちるべき運命(さだめ)の者が多いということ---」
「なるほど。それで、山門のそばには6体の地蔵がならんでいらっしゃいます」
「これ、なんという罰あたりなことを申す。あれは、六地蔵というて、仏法の地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天で迷いながら輪廻(りんね)しておる衆生を済度(さいど)なさる地蔵さまたちじゃ」
平蔵が信仰心が篤(あつ)かったことは、史実に記録されている。
その一つ---処刑された盗賊たちの慰霊と鎮魂の施舎(せしゃ)を、毎年、欠かしていない。
だから、六地蔵の意味も、地蔵がサンスクリット語の地母神---大地の子宮の漢語訳であることもこころえていたろう。
相手に得意としているところを語らせながら、その中から核をひろっていたのである。
「子安(こやす)地蔵、子育(こそだて)地蔵、子宝(こだから)地蔵、子代(こがわり)地蔵、童子地蔵---といった、子どもにかかわりのある地蔵さまが多いのは---?」
「さまざまな説話に、地蔵さまは子どもの姿をしておあらわれになっとるな。そのせいじゃろう。これは大きな声ではいえぬが、水子の供養にも、地蔵さまが拝まれておる」
訊くだけのことを訊くと、懐から「お布施」と書かれた包みを奉じた。
「ご供養、仏前にあげさせていただこう。南無阿弥陀仏」
平蔵を見送ると、お布施がそのまま聡達の懐におさまったことは、あらためていうに及ぶまい。
すぐ近まの感応寺門前、
武士はいや 町人好かぬ いろは茶屋
いろは茶屋 梵字いろはで 書きのめし
に消えることは、平蔵も見こしての施行(せぎょう)であった。
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コメント
天台宗の慈覚大師仁円が偉いお坊さんということは、うすぼんやりと覚えてはいましたが、ご生誕の地が栃木県壬生町だったとは存じあげませんでした。
かつての壬生城の北に慈覚大師にちなむ大師堂があったこと、本尊が身代り地蔵像ということも、初めて知りました。
あちらへ行くついでがあったら、ぜひ、参詣したいものです。
投稿: 文くばり丈太 | 2010.09.26 05:25
>文くばり丈太さん
壬生町はいま、おもちゃの町としてPRしています。
慈覚大師のことは、ちょっとなおざり気味。
ぼくも行ってみたいと思っていますが、駅前レンタカーなんかの案内もなくて、二の足をふんでいるところです。
投稿: ちゅうすけ | 2010.09.27 06:56