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2010.10.04

〔七ッ石(ななついし)〕の豊次(10)

翌早朝---夜明けまでに2刻(とき 2時間)以上もあるころ。

本陣〔蓬莱屋〕をそっと出た2つの人影があった。
平蔵(へいぞう 32歳)と松造(まつぞう 26歳)の主従であった。

2人は、会話も交わさないで、通町が西へ折れるところで別かれた。
平蔵は大師堂のもの蔭へ、松造は東へ下馬木(げばき)の桶屋の見張りに。

やがて、家々の軒下の蔭づたいに松造が忍んでき、さっと見渡し、大師堂の脇にひそむ平蔵に駆けよった。
「お(たま 28歳)が参ります」
「よし。隠れろ」

は、本堂には参詣せず、庫裡(くり)へ消えた。
「とんだ、願かけお百度だわ」

しばらくたたずんでいたが、おがあらわれないことがわかると、本陣へ引き帰った。

五ッ半(午前9時)に同心・角田主膳(しゅぜん)が馬とともにあらわれたときには、松造も〔鯉沼(こいぬま)〕の杉平(すぎへい 20歳)もすっかり足ごしらえをととのえていた。

馬の手綱とともに、角田同心は、七ッ石村の年寄りへの藩からの手配り書きを添えた。
「昼餉(ひるげ)を用意させますから、お着きになりましたら、真っ先にこれをお渡しください」

七ッ石村は、城下の本陣から子亥(ねのい 北々西)へ1里半(6km)の道のりであった。

黒川ぞいの堤のちょうど1里(4km)あたりで、杉平が右手を差し、
「こっちへ3丁も行ったところが、あっしが生まれた鯉沼郷でやす」
先夜と昨夜の酒盛りで、だいぶにもの馴れてきていた。

「ご両親は達者かな?」
「いえ。3年前の流行り病いで---」
「そうか。余計なことを訊いた。許せ」
「とんでもねえこってす」
香具師(やし)の一家へ転がりこんだほどだから、満足な生活(なりわい)ではなかったのであろう。

七ッ石の村年寄の家は、黒川の西を流れている思川(おもいがわ)を望む丘にあった。
手配書を示すまでもなく、昨日のうちに藩から指示がくだってい、茶菓子をしつらえて待っていた。

豊次(とよじ 28歳)のことを訊くと、3年前に村抜けをしたが、小山(おやま)の城下で、おまさとかいうおんなといっしょのところを、小山へ行った村の者が見かけたほかには、音沙汰がないと。
おまさというおんな?」
「たしか、そのような---」
「見かけたというその者を、昼餉にでも呼んでおいてもらえるかな?」
「造作もございません」

熊野神社の隣の七石山戒定坊で案内を乞うた。
あらわれたのは、白衣に首から最多角念珠(いらたかねんじゅ)というのか、無骨な大数珠をかけた入道であった。、
「西丸の書院番士・長谷川平蔵宣以(のぶため)」
名乗ると、
兎角(とかく)坊と申す」
ともかく、招じいれた。

飯炊きをしていたおのことを訊くと、
「そのような女性(にょしょう)がいたことは伝え聞くいておるが、吾坊(ごぼう)がここの執行(しぎょう)に就く---そう、8年ほども前のことであるな」
「便利されておったとか---」
「修験者というても、男であるからな。わっ、ははは」
(男なしではすまぬ躰にされてしまったな)

熊野山から吉野山へわたる順峰(じゅんぶ)や、日光連山での修行についての余談をちょっとし、おまさというおんなのことのほうが気に,なるので、はやばやと辞去した。


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コメント

鯉沼の杉平に、それとなく両親の安否をきき、すぐに謝る平蔵さん。やさしさが伝わってきます。杉平も、それを感じとり、損得抜きで、「この人の役に立ちたい」と思ったことでしょう。
平蔵さん、行く先々で、味方をつくっていくんですね。見習わなくちゃあ。

投稿: tsuu | 2010.10.04 04:45

男なら、たいてい1冊は読んでいるレイモンド・チャンドラーのフィリップ・マーロウ探偵ものの、『プレイバック』に名セリフがあります。
「しっかりしていなかったら、生きていられない。やさしくなかったら、生きている資格がない」清水俊ニさん訳。

投稿: ちゅうすけ | 2010.10.04 16:26

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