〔七ッ石(ななついし)〕の豊次(8)
翌朝---。
「通町枝町の下馬木(げばぎ)の桶屋の近所で、新造・お玉の人となりや実家の生業(なのわい)などを、それとなく訊きこんできてくれまいか。さとられるなよ」
平蔵(へいぞう 32歳)から命じられた松造(まつぞう 26歳)が、飛ぶように出かけた。
火盗改メ・土屋(帯刀守直 もりなお 44歳 1000石)組の同心・高井半蔵(はんぞう 38歳)が、誘った。
「すぐそこの雄琴(おごと)神社が秋祭りの準備をしているそうです。暇つぶしに、のぞいてみませんか?」
本陣・〔蓬莱屋〕の主人の庄兵衛が案内をかってでた。
庄兵衛は、壬生(みぶ)氏がこの地の領主であったころ、旧家臣・松本姓の子孫であるといった。
雄琴という社号は、琵琶湖畔の壬生氏の遠祖が領していた里・雄琴に由来しているとも。
それとなく、太師堂の住持の風評を話題にしてみた。
「数年前に飯塚からきた僧ですが、詳しいことは存じません。しかし、このあたりは真言系の寺が多いから、檀家が少なく、藩の補助がなければやっていけないでしょう」
参拝をすまし、境内末社の金比羅、厳島、稲荷などにも賽銭を奉(あ)げ、獅子舞いの稽古に足をとめたぐらいで戻り、あとは〔鯉沼(こいぬま)の杉平(すぎへえ 20歳)と〔越畑(こえはた)〕の常八(つねはち 25歳)を待つしかなかった。
まず、松造がf訊きこみを終えて帰ってきた。
50過ぎの桶屋の伝六は、若いころからの坐り仕事で腰を悪くしているらしい。
「桶屋といいましても、井戸のつるべ桶とか墓場の手桶ていどの小さな桶づくりしかやっておりません」
お玉が女房にきたときには、腹がふくれてい、6ヶ月だろうと、近所のおかみさん蓮がささやきあっていたといいます。いま8歳の長男がそれだそうで---」
「出はどこだ?」
「七ッ石村の熊野神社の脇の小作人のむすめとか称しているそうですが、山伏の七石山戒定坊の飯炊きをしているときに腹がふくれてきたので、山伏の一人が桶屋の伝六にわずかな金とともにおしつけたのだというのもいました」
本陣の庄兵衛を呼び、七ッ石村の戒定坊について、訊いた。
熊野神社を勧請したときについてきた山伏がひらいた坊とのことであった。
「お手数だが、町奉行所の角田同心に、使いをだしてもらえまいか?」
入れかわりに〔越畑〕の常八が帰ってきた。
「いそぐほどのことではあるまい。昼餉(ひるげ)をいっしょにとってから、ゆっくり話を聞こう」
「そうか、藤井村まで足をのばしてくれたのか。ご苦労であった」
「とんでもございやせん」
藤井村は、城下の南にあたり、常八はその西を流れる思川(おもいがわ)ぞいに下稲葉村・上稲葉村へも訊きこみにいっていた。
(赤○=壬生城下 緑○上から七ッ石、上稲葉、下稲葉、藤井村)
最初の元町---とはいえ村---で、大師堂のことなら取りあげ婆ぁが風評の元だと教えられ、村々では取りあげ婆ぁをまわった。
ほとんどの婆ぁさんが住職から、水子したあとの躰の治まりと流した子の供養になるとの噂のひろめ賃を握らされていた。
「どうせ、そんなことだろうとおもっていた」
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コメント
まず、情報集めですね。
証人の人品調べ。
いまの場合は、広く網をうって---。
ふむ、ふむ。
投稿: 文くばりの丈太 | 2010.10.02 05:47
>文くばりの丈太 さん
平蔵さん、何かにこだわっているみたい。宇都宮で知らされたお紺のことかなあ。
あねいは、〔乙畑(おつばた)〕の源八の一味にはいっているかもしれない、おまさのことかなあ。
投稿: ちゅうすけ | 2010.10.02 07:43