〔戸祭(とまつり)〕の九助(きゅうすけ)(3)
宇都宮への旅立ちの前に平蔵(へいぞう 33歳)は、深川・黒船橋ぎわの町駕篭〔箱根屋〕で、権七(ごんしち 46歳)のむすめのお島(しま 11歳)を呼び出し、連れだって霊巌寺門前町の浄心寺の楼門にいたると、そのかたわらで結び文をしたため、塔中のひとつ、浄泉尼庵を教えてとどけさせた。
ほどなく、尼頭巾の日信尼(にっしんに 37歳)があらわれた。
受戒する前のお信(のぶ)である。
7年前に、上総(かずさ)国の盗賊一味を抜け、平蔵の世話で茶店〔千浪〕の女将をしていた。
「ここで、立ちばなしでいいか?」
うなずく尼に、
「〔乙畑(おつばた)〕の源八(げんぱち 40歳前後)という首領(つとめにん)をしっているか?」
首がふられた。
「そうか。では---」
去りかける平蔵へ、
「あの---」
尼頭巾をとり、剃髪した頭をみせた。
「そうか」
丸頭をくるりとなぜ、
「これで、いいか?」
「---唇で」
「ばか。松造(まつぞう 27歳) 、お島の目がある。今度な、日俊老尼に、よしなに---」
その夕べ---。
平蔵は、権七と連れだち、常盤町1丁目の小料理〔蓮の葉〕へ上がった。
女将のお蓮(はす 33歳)が、あいかわらずも媚態で迎えた。
とりあえず、分葱(わけぎ)の酢味噌で酒を酌みながら、
「ここの主(あるじ)に、これを渡してほしい」
結び文を差しだした。
「主(あるじ)って---? 女将はあたしですが---」
「冗談ごとではないのだ」
お蓮は、嫣然と笑み、
「お返事は---お屋敷のほうへ---?」
「いや。宇都宮から帰ったら、また、くる」
「宇都宮へは、どんなご用で?」
「大谷石(おおやいし)の仏を拝んでくる」
「そんなみ仏さまがございますの?」
「ま、女将には、生き仏のほうが功徳になろうがな」
「極楽へ行かせてくださる生き仏さまなら----ほ、ほほほ」
新しい酒をとりに立った。
権七にも、紙片を渡した。
---小太り、鼻太く、上唇の小豆(あずき)大の黒子。齢のころ25歳前。
「舁(か)き手に頼んでおいてほしい。乗った町、降りた家がしりたい」
「承知しました。箱根の雲助たちのほうへも手をまわしおきます」
「かたじけない」
権七が、松造(まつぞう 27歳)の盃に酌をしてやっていた。
雀のたたき煮のだんごを箸でつまみあげて、しげしげと見つめている。
松造は、連れあいのお粂(くめ 37歳)が〔草加屋〕の板場からときどき持ち帰っていたあまりものの菜のおかげで、料理に関心をもつようになっていた。
【参照】2010年10月20日~[戸祭(とまつり)の九助] (1) (2) (4) (5) (6) (7) (8)
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コメント
大勢の登場人物の中で、掏摸出身の松造も肩入れしている中の一人です。
はぐれ狼みたいだった境遇から、平蔵の下僕になり、誠をつくす人間関係を知り、いまでは10歳年長のお粂と愛を交わしています。
料理の味がわかるようになったのも、その成果といっていいでしょう。
人間的に、どんどん成長していく姿が好ましい。
もっとも、ちゅうすけさんは、描写を控えめにする人だから、こっちでかってに連想をふくらませていますが。
投稿: 文くばりの丈太 | 2010.10.22 05:31
>文くばりの丈太 さん
池波さんも、掏摸を主人公にした短篇をいくつかと、聖典のなかでも3人ほど掏摸を登場させていますよね。
掏摸の知識は長谷川伸師ゆずりでしょう。
松造にはユーモラスな気質もありますから、お勝とともに、もうすこし、いい味をだしてくれたらと願っています。こんごを見守ってやってください。
投稿: ちゅうすけ | 2010.10.22 07:46