茶寮〔季四〕の店開き(3)
「これで、わたしたちの仲、銕(てつ)さまの親しい人たちのあいだでは、おおっぴらになりました」
腰丈の寝衣を羽織り、大きくひらいた衿元から右の乳房がこぼれ出、腰から下をあらわにしたまま、片膝(ひざ)立てで、まん前に座った里貴(りき 34歳)は、うれしそうに微笑んだ。
三河町の御宿(みしゃく)稲荷脇の家では、決して口にしなかった台詞(せりふ)であった。
耐えていたのであろうし、あいだがらを秘しておかなければならないこともこころえていたのであろう。
(可愛い奴---)
里貴のこころねをおもいやった平蔵(へいぞう 33歳)であった。
大徳利から片口へ移した酒を、平蔵の茶碗へ注ぐとき、片手をそえた。
一刻(いっとき)も早く、平蔵の躰に触れたい気持ちがそうさせた。
茶碗酒を酌(く)みかわした。
「お店がひらいたら、盃をもってかえっておきます」
「これのほうが、おれたちふうで、よい」
里貴の内股から視線をはずし、
「ふう---といえば、貴志村ふうのすわり方が、すっかり戻ってしまったな」
片膝立てを冷やかした。
「お嫌(いや)ですか?」
「おれには、なによりの眼福だが、ほかの男の前ではやってもらいたくない」
「ほかの殿方の前では、貞淑ふうな大和おんなと、決めております」
「貴志村といえば、狭い土地(ところ)ですから、年増の後家の里帰りということで、好奇の目が多く、家の中でも裸になれませんでした」
「つまり、鎧(よろい)を着つづけていたわけだ。窮屈であったろう」
「この寝着を、銕さまとのときに、こうして羽織ることができるのが、うれしいのです」
「ここは江戸だ。里貴の新しい家だ---」
「お話ししていただきたいことが山ほどありますが、湯が冷めます。行水を---」
里貴が布団をのべているあいだに、平蔵は着ているものを脱いだ。
「箱枕のほかに、もう一つ、男ものの枕が---」
「権七(ごんしち 46歳)どんがお須賀(すが 41歳)にいいつけたのであろう」
「発覚(ば)れていたのですね」
「相方(あいかた)がおれかどうかは、ともかく---」
「意地悪ッ」
里貴が平蔵の脊をぶった。
そうやって甘えられのが、いかにもうれしいのだ。
「銕さまのお寝着まで---」
ひろげて見せた。
踏み板の簀子(すのこ)も、2年前の家のものであった。
「里貴は長旅であった。先にほこりを落とすがよい」
たらいの中で、里貴はすでに興奮し、肌のところどころを薄い桜色に上気させ、双眸(りょうめ)で、暮れかけた狭い庭で裸体で簀子にしゃがんでいる平蔵の曈(ひとみ)を見入った。
【参照】2010年4月5日[里貴の行水]
盥(たらい)の湯に、股の茂みが淡い藻のようにゆれているのも、里貴は気づかぬふうであった。
「どうした---?」
「変なのです」
「なにが---?」
「今日、初めての家なのに、ずっと前から、銕さまとこうしていたみたい」
「そう、おもってくれるだけでも、里貴を迎えた甲斐があった」
その言葉を待ってでもいたみたいに里貴は立ちあがり、簀子の平蔵に抱きつき、腰を引き寄せ、片足をあげてからませた。
(国貞『仇討湯尾峠孫杓子』 写し:ちゅうすけ)
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コメント
平蔵さんとお里貴さんの関係、江戸時代の武家社会だから成り立つのですね。
子どもが生まれれば、母は某女で届ければすむみたいですから。
幕臣の妻女として、嫡子を産み、ご内室さまとしての座が安泰だし、同じ屋根の下で暮らしていないから、そういうものと割り切り、久栄さんもいらいらしないですむのでしょうね。
現代なら、平蔵さん、イバラのむしろかも。
投稿: tsuko | 2010.11.13 05:01
>tsuko さん
そうなんです。いまの道徳観で江戸時代の武士の男女関係を計っては間違います。
子ども、とくに女の子は大なり小なり政略の具として使われました。
家計がゆすなら、子ども---とくに女の子は多いほど喜ばれたのではないでしょうか。もっとも、嫁に出す費用も大変だったし、美人に近いことも望まれたでしょう。
さらに大切だったのは賢さでしょう。
その点、久栄は賢いし、お竜も里貴も賢い。
投稿: ちゅうすけ | 2010.11.13 14:21