藤次郎の難事(4)
「ご内室さまへ話したのか?」
新八郎(しんぱちろう 16歳)は首をふった。
「このままではすむまい。悪阻(つわり)がはじまれば、ご内室さまもお気がつかれ、問い詰められる」
「お菊(きく 20歳)を助けてやってください。母御(ご)は、嫉妬のあまり、お菊を殺しかねませぬ」
(7000石は、それで消える)
平蔵(へいぞう 33歳)は、自分が於津弥(つや 40歳)に教えたことの報いの重大さに、困惑した。
(ことが発覚(ばれ)れば、長谷川家も断絶かもしれない)
「お菊に会えるか?」
首を、またふり、
「四ッ目の別邸です」
菅沼一門で家禄がもっとも高いのはご当家だが、長老格としては、どなたであろうと訊いた。
新八郎が即座に名をあげた。
「先日、小普請支配職にお着きになられた御徒町の(主膳正虎常 とらつね 64歳 700石)大伯父ですが、さて、牧野家(備後守貞通(さだみち 享年43歳 笠間藩主 8万石)を鼻の先にぶらさげている母者が聞く耳をもっているか、どうか」
【参照】2010年4月6日~[菅沼家の於津弥(つや)] (1) (2)
「ご内室の兄者におあたりになる、備後(守 貞長 さだなが 48歳)さまは大坂(城代)だから、きょうの場には間にあわない---」
「お菊を、御徒町の大伯父に預かってもらうというのは?」
「一つの手立てではあるな。ま、もう2,3日、考えてみよう」
平蔵は、日本橋通南3丁目箔屋町の白粉問屋〔福田屋〕へ向いながら、
(男も33歳ともなれば、こういう難題にいくつも直面し、それを乗り越えて、まことの大人の男になっていくのであろうな)
〔福田屋〕で、化粧(けわい)指南師の仕事をしている、お勝(かつ 37歳)を呼び出した。
「あら、うあなぎの〔大坂屋〕ですか。不忍(しのばず)ノ池の傍の出合茶屋とまでは申しませんが、せめて船宿あたりへ呼びだしてくださると、いそいそと出向くものを---」
「お勝も、そういうことを口にする、37歳の大年増になったものよ」
「お正月がきたら、熟れきった38歳でございます」
「38歳は、おんなの厄だったかな?」
「銕(てつ)さまに干されているこの数年間は、ずっと厄齢でございます」
冗談ごとではないのだ---と、新八郎とお菊との難事を打ちあけ、
「於津弥に、あの道をおもいとどまらせる方法はないものか?」
「ご内室は、男を卒(お)えたあとで立役をお覚えになっていますから、いまさら、男をさし向けても、見向きもなさいませんでしょう」
「お勝は---?」
「わたしは、銕さまに岡惚れしておりましたから---うれしゅうございました。銕さまのお子種の暖かい精水が放たれたのを、躰の奥で受けとめたと感じただけで恍惚となりましたもの」
だから、その小間使いも、若の子種があそこの芯を打った感触で悟ったとき、離れまいと決心したはず、とお菊の心情を代弁した。
「考えを、於津弥にしぼってみてくれ。どうすれば、あの道をあきらめさせられるか?」
「ご内室といっても後家でしょ? 尼寺へ入れ、亡き殿の供養をさせるんですね」
こともなげにいい、串焼きの皿を横にどけて、平蔵の袴に手をかけた。
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コメント
おや、藤次郎くんの難事のお相手はお菊さんのやや出来でしたか。
そうなると、於津弥さまに知れると可愛さあまって憎さ百倍かも。
平蔵さんのお手並み期待。
しかし、盗賊だけでなく、色欲の解決もしてやらなければならないのは、現代の中間管理職なみですな。
投稿: 文くばりの丈太 | 2010.11.22 05:46
>文くばりの丈太 さん
現代の中間管理職とは至言です。
会社へのロイヤリティは薄れていても、現実には会社が第2の家庭みたいになっていますから、身辺の多くを思いやってこそ、いい上司といわれましょう。
しかし、現代っ子は、干渉しすぎてもうるさがりますから、ふだんは距離をおいて看ておくのが良司なのかもしれません。
いや、むつかしい時代になりました。
投稿: ちゅうすけ | 2010.11.22 12:41