医学館・多紀(たき)家
茶寮〔季四〕の舟着きでは、最後の客が黒舟に乗ったところを里貴(りき 35歳)が見送っていた。
雪洞の灯でぼんやりと見ただけだが、一人の武士には見おぼえがあった。
平蔵(へいぞう 34歳)は船頭・辰五郎(たつごろう 50歳)に、
「船宿〔黒舟〕の舟のあいだにいれてくれ」
舟底へ伏せ、そこにあった刺し子の半纏をかぶった。
向こうの舟の櫓(ろ)の音が消えてから、舟を降りた。
帰り支度の里貴に、
「さっき、見送っていたのは、庭番の倉知(政之助満済 まずみ 39歳 60俵3人扶持)だな」
「はい。お客さまをお連れしてくださったのです。歩きながらお話ししましょ」
「客とは、もう一人のほう---」
「〔越後屋〕さんの次席番頭の伴蔵(ばんぞう 51歳)さんとおっしゃいました」
遠国への用をいいつかった庭番が駿河町の越後屋(三井呉服店)の特別な部屋で変装に着かえることは、平蔵も承知していた。
「〔越後屋〕が接待に使ってくれると、現金掛け値なしで集金の手間がはぶける」
「ご冗談ばっかし---今宵はどちらからのお帰りですか?」
並んで歩きながら里貴は、人通りがないのを見透し、提灯を持ちかえ、掌をにぎってきた。
握りかえし、
「悪いが、武士は右手はいつでも刀が抜けるようにあけておかねばならない」
「では、左手を---」
里貴が武家屋敷の塀がつづいている左側へまわろうとした。
「左の手は、鯉口を切るためのものだ」
「おなごは、恋の口です」
左腕の上膊をとって胸に抱いた。
「飯田町中坂下の〔美濃屋〕で、火盗改メの贄(にえ)越前 (守 正寿 まさとし 39歳 300石)どのにご馳走になった」
「どうせ、捕り物の頼みごとだったのでしょう?」
「忘れないうちに、伝えておく。あさって、贄どのの組の筆頭与力と〔季四〕で落ちあう」
「銕(てつ)さまは、捕り物となると、お目がなくなるのですもの---」
他愛もないやりとりをしているうちに、藤ノ棚であった。
「川風にあたって酒気が引いたようだ。すこし喉を湿めらせていくか」
「わたしのほうは、もう、湿っております」
すばやく冷酒をだし、隣の部屋で腰丈の寝衣に着替えた。
平蔵の寝衣をもってあらわれ、
「〔越後屋〕さんとつながりができましたから、新しいのを仕立ててもらいます」
にこにこと告げ、〔三井呉服店〕でのいいわけを工夫している。
「〔越後屋〕は〔季四〕の客になってくれる店であろう? そこで腰丈のものを買えば、番頭や手代がそれを着ているときの里貴の姿を話題し、みだらな笑いをかわすぞ」
「あ、ほんと---」
立て膝をやめたが、開きぎみの自分のまる見えの太股のつけ根を上から見おすと吹きだし、
「ご開帳のこの姿は、銕さまだけのものですものね」
冷や酒を呑みか酌みかわしたところで、
「一ッ橋の茶寮〔貴志〕のころに、奥医の客はいなかったか?」
言うべきか言わないでおくべきか迷っていたが、
「奥医のお方が、なにか---?」
「おお。和泉橋北の神田佐久間町に躋寿館(せいじゅかん のちに医学館)があることは知っておるな?」
「明和の初めに、多紀さまが建白なされて建てられたとか、うかがっておりますが---」
「あそこへ、賊が入った」
「あら---」
「〔貴志〕へは、田沼のお殿さま(意次 おきつぐ)が一度だけ、奥医・河野仙寿院法印さまをお招きになったことがございますが---」
「仙寿院通頼(みちより)どの---あっ」
【参照】2010年9月20日~[佐野与八郎の内室] (1) (2) (3) (4) (5)
【ちゅうすけ注】明和2年(1765)、神田佐久間町の幕府・測量所跡の1500坪に、薬園つきの躋寿館(医学館)Iが建てられたが、同9年(1772)の目黒・行人坂の大火で被災、多紀家は私財で再建したが、文化3年(1806)再び焼失。
神田川のすこし下流、新し橋北詰の1000坪の地に幕府の医学館として移転・再興。
下は、移転後の場所。
(神田川左岸・向う柳原の医学館=赤○)
(上切絵図=部分拡大 池波さん愛用の近江屋板 )
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コメント
平蔵さんの江戸に医学館があったなんて、初めて知りました。
江戸の医療施設では、赤ひげ先生の小石川養生所しか記憶になかったのですが。
投稿: tomo | 2010.12.12 05:33
>tomo さん
50年以上前に、中央公論美術出版というところから、『古板江戸図集成』という全11巻ものが刊行されました。
給料も少ない時代でしたが、無理をして揃えました(2万なにがしの給与でしたが、1巻が3800円でした)。
その11巻目に医学館の見取り図が収録されていました(小石川養生所も石川島人則寄場の見取り図もありました)。
空想で、ずっと、それらの図のなかに人物を配して遊んでいました。
投稿: ちゅうすけ | 2010.12.12 07:21