長谷川銕五郎の誕生(2)
今戸橋南ぎわには、新吉原がえりの遊び客目あての船宿がずらりと並んでいたが、こころえている小浪(こなみ 43歳)は、口の堅い老練な舟頭を指定した。
里貴(りき 37歳)は、旅支度を解き、ふつうの町着姿に戻したが、平蔵はそのままであった。
御厩河岸の舟着きで自分だけ降り、乗ったままの里貴の舟が、行き交う舟の群れのあいだに消えるまで見送った。
お粂(くめ 40歳)とお通(つう 13歳)の母子でやっている〔三文(さんもん)茶亭〕へ入ると松造(よしぞう 30歳)が旅姿で待っていた。
「よく、こっちだとわかったな」
「蕨宿(わらびしゅく)あたりから舟でお帰りなら、ここだとおもいました」
「さすが、われが分身---」
お通が茶を給仕し、
「おこころづくし、ありがとうございました」
袷(あわせ)の袖口をまくり、薄桃色の襦袢(じゅばん)の袖をちらりと見せ、
「お父(と)っつぁんが見立てたそうですね。寒さにむかい、紅花染め肌着だと、暖かくて助かります」
お粂も寄ってき、礼を述べた。
どうやら、渡した2分(8万円)で購ったらしい。
〔三文(さんもん)茶亭〕を蔵前通りへ出たところで、
「どこで求めた?」
雷門前の〔天童屋〕だが、産地で襦袢にまで仕立てたものものをじかに仕入れているため、京から下(くだ)ってくるものの半値であったと、松造が打ちあけた。
「引きかえし、母上(56歳)、奥(29歳)、於初(はつ 9歳)、於清(きよ 7歳)、間もなく生まれるややの分を求めよう」
5品でも1両(16万円)で2分なにがしかの釣りがきた。
「手前は、2枚ずつ買ってやりました」
「これは土産である。武士が武具でないものを買っていてはおかしい。あとで屋敷へとどけさせてくれ」
「いえ。手前が持ちます」
歩きながら、紅花染めでのことで、久しぶりに、本所・緑町2丁目の料亭〔古都舞喜(ことぶき)楼〕の盗難事件で、天童育ちの座敷女中お留(とめ 32歳=当時)が、賊の一人がくず花で染めた手巾をつかっていたことを覚えていたことから、〔舟形(ふながた)〕の宗平(そうへえ)の身許がわれたことをおもいだしていた。
【参照】2008年4月18日~[十如是(じゅうにょぜ)] (3) (4)
そのころ20歳であった銕三郎(てつさぶろう)は、お留と再会し、躰がむすばれた---というより、お留あらため、30おんなのお仲から、どこをどう愛撫すれぱいいかを実技で伝授された。
それは、高杉道場で:剣の秘技を会得するよりも、楽しかった。
【参照】2008年8月9日~[〔菊川〕の仲居・お松] (8) (9)
2008年8月14日~[〔橘屋〕のお仲] (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7)
お仲とのあいだは、2年近くつづいたろうか、ふいっと姿を消した。
探す手がかりもないままに、それきりになった。
いってみれば、性の恩人であり、青春のまぼろしであった。
まぼろししといえば、お竜(りょう 享年33歳)も、そうであったのかもしれない。
立役のお竜が、銕三郎を初めての男として受け容(い)れた。
(あれは、性の迷路だったかも---)
「殿。辰蔵(たつぞう 12歳)さま、於初さまがお出迎えなさっておられます」
松造の声に、追憶からわれに返った。
「奥の姿が見あたらぬが---?」
理由(わけ)は、辰蔵の説明で、すぐにわかった。
「父上。辰蔵に、11歳齢下の弟ができました」
「いつのことだ---?」
「5日前でございまいす」
(佐千(さち 34歳)や里貴と寝ている日でなかったことが、久栄(ひさえ 29歳)への、せめてもの言い訳か)
久栄は、産み月になると、実家の大橋家へ帰った。
しかし、こんどは、平蔵が与板へ旅立ってすぐ、実家へ移った。
産んでから、1ヶ月は実家で養生するしきたりであった。
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