長谷川家と林叟院
「栄(えい)さん。まず、大叔母どののご機嫌を伺ってくる。話はそれからだ」
納戸町の従兄(いとこ)・長谷川栄三郎正満(まさみつ 37歳 4070石)からの呼びだしで、下城の帰りに同家を訪ねた平蔵(へいぞう 36歳)は、断り、離れの病室に於紀乃(きの 82歳)を見舞った。
於紀乃は、当家の先々代・讃岐守正誠(まさざね 亨年69歳)の正室で、夫が逝ってから27年も余生している。
この大叔母には、平蔵は頭があがらない。
20代の部屋住みのころ、於紀乃をたぶらかし、甲府までの路銀をせしめたことがあった。
【参照】200827~[〔中畑(なかばたけ)〕のお竜] (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8)
この旅が奇縁となり、久栄(ひさえ 16歳=当時)と知りあえたし、いまは忠実な従者として仕えてくれている松造(よしぞう 17歳=当時)ともかかわりができた。
あの旅がきっかけとなり、お竜(りょう 享年33)とも奇妙な、ヰタ・セクスアリスもふくめて武田軍学の一端に触れることができた。
【参照】2008年10月5日~[納戸町の老叔母・於紀乃] (1) (2) (3)
「銕三郎(てつさぶろう)です」
襖の外から名乗った。
老叔母は、平蔵をいまだに子どもあつかいしてい、呼び名も銕(てつ)であった。
出てきたのは妹の与詩(よし 24歳)で、
「ご隠居は、お寝(や)すみです。お起こししますか?」
「いや。いい」
離婚されてからの与詩は、於紀乃の話し相手兼世話掛りをしていた。
【参照】2010年1月5日~[・与詩(よし)の離婚] (1) (2)
「銕(てつ)兄上は、何刻(なにどき)までおとどまりでございますか?」
「六ッ半(午後7時)には失礼しようとおもっておる」
「それまでにお目覚めになりましたら、お報らせいたします」
栄三郎正満は4070石という大身ながら、まで役についていず、たまにある寄合の集まりに顔をだすだけであった。
「だから、役に就いていない今こそ、小川(こがわ 現・焼津市)へ参り、林叟院(りんそういん)の法永どのの法会をやってえおきたい」
現世では法栄で、仏となってからは法永であった。
法栄とは、長谷川家の祖の一人で、今川家の重臣として小川城に居しながら、貿易なども手びろくおこない、長者と呼ばれていた。
司馬遼太郎さん『箱根の坂』には、伊勢新九郎(のちの北条早雲)の依頼で、塩買坂で横死した今川義忠(享年41歳)の遺児・龍王丸(6歳)を匿(かくま)ったとある。
14歳の銕三郎時代に田中城(現・藤枝市)を訪ね、ついてに小川の坂本まで足を延ばし、林叟院の法永夫妻の墓に詣でた。
曹洞宗の名刹・林叟院の住持は、
「江戸から、ようもようも---」
と感嘆しながら、三島でお芙佐(ふさ 25歳)よって初体験をすませた銕三郎の気のせいか、その眸に不浄の身で---といった光りがあった。
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コメント
きょうはまた、過去キャラ、いや、懐かしキャラといってあげたほうがいい於紀乃大伯母をはじめとして、お与詩さん、中畑のお竜さん、12年前に双方ともにそれぞれの意味で初体験に燃え上がったお芙佐さんと、平蔵の青春を彩った女性たちの顔見せでした。
ときには、こういう過去帰りもいいですね。
それにしても、このブログ、つづはますねうえ。
投稿: kayo | 2011.03.30 05:56
>kayo さん
右枠の不調でのレス遅れ、すみませんでした。
ブログも5年以上つづいています。最近からアクセスをおはじめくださった方々にも、銕三郎のヰタ・セクスアリスの経過をわかっていただこうかとおもいまして。
本当は、自分が好きなかもしれません(笑い)。
投稿: ちゅうすけ | 2011.04.15 13:45