神座(かんざ)村の梅吉
「梅爺(と)っつぁんか---?」
舟に荷を積んでいた老爺に声をかけた。
いぶかしげに平蔵(へいぞう 37歳)主従を見つめる梅吉(うめきち 60がらみ)に、
「辰爺っつぁんから教わってきた。ちょっと、話をきかせてくれないか?」
「お武家さんは---?」
「おてつ---の幼な馴染だ」
「江戸の人か---?」
「そうだ」
松造(よしぞう 31歳)が携えていた酒徳利を見せ、舟をだす前に一杯やろう、ともちかけた。
鼻の頭が赤ずんでいる梅吉は、否といわなかった。
相賀(おおか)谷川ぞいを半丁(50m)も遡ったところに、小屋に毛がはえたほどの住いがあった。
「嬶(かか)ぁがおっちんでからは、独りぐらしでよう。なんにもねえが---」
畳もなく、囲炉裏(いろり)ばたに茣蓙(ござ)と荒むしろを敷いだけの板の間であった。
「なかなかに風流な暮らし向きだ」
「風流すぎるがね」
梅吉が平蔵の評価に、はじめて笑顔を見せた。
徳利の栓を抜くと、梅吉は湯呑と茶碗をもちだしきた。
3つに注ぎ、平蔵と松造が湯呑みをとったので、なみなみとはいった大ぶりの茶碗は梅吉の手にもたれた。
「おてつだが、梅爺っつぁんは、ほんとうの名とおもうかね?」
「------」
梅吉が茶碗ごしに平蔵を見つめていたが、見返されると目をそらし、
「幼な馴染といいなすったが、おてつさんはお武家育ちには見えなかったが---」
「失礼。行きつけの酒屋の一人むすめで、母ごが早くに亡くなっていたので、われが手習いの手ほどきをしたりして、妹同然にかわいがっていたが---」
「そんな兄貴格のお武家がいたと聞いたことがあった---それがあなたさまでしたか?」
「やっぱり、おまさだ」
「おまさ---そういえば、親分がおまさと呼んだような---」
ひとり言のようにつぶやいた。
「親分とは---?」
梅吉か口を抑えた。
「梅爺っつぁん。おまさがあの晩、みんなを案内してここへきたことは察しがついておる。そして、夜があけてから、舟で向こう岸へ渡したこともわかっておる」
「渡したのは、おてつさんと親分ともう一人だけだ」
「それでは、ここで分け前を分配したのだな」
梅吉は黙りこんでしまった。
「なにも、おまさを捕らえようとか、一味をどうこうしようというのではない。おまさのこれからに気をくばっているだけだ」
梅吉がぽつりと洩らした。
「親分は、〔のみ〕の呼ばれていた---」
【ちゅうすけのひとり言】『鬼平犯科帳』巻6[剣客]に、
おまさは以前、駿河と遠江一帯を荒しまわっていた盗賊で、
〔野見(のみ)の勝平(かつへい)〕
のもとで、一年ほど〔引きこみ〕をはたらいていたことがある。p92 新装版p98
平蔵が江戸へ帰ってみると、〔狐火(きつねび〕の勇五郎(ゆうごろう 62歳)から、おまさが一味のなかで不始末をしたから、追放したが、〔瀬戸川(せとがわ〕の源七(げんしち 66歳)が、〔野見(のみ)〕の勝平(かつへい)お頭(かしら)へつなぎをつけたようだとの文がきていた。
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