ちゅうすけのひとり言(76)
2011年7月20日[ちゅうすけのひとりごと(75)]に、長谷川平蔵宣以(のぶため 享年50歳)の次男・銕五郎正以(まさため 18歳)が養子にはいった長谷川一族の支家4070石の采地が上州甘楽・碓氷2郡から、遠州城東、山名の2郡へ移されたことを記した。
長谷川久三郎を[旧高旧領取調帳データベース]
の検索にかけてみた結果は、
遠江国山名郡 太馬郎新田 62石391
豊田郡 船明(ふなぎら)村 378石545
3000石ほどが行方不明のままで終った---とも。
【参照】〔船明(ふなぎら)〕の鳥平
3月11日の地震で書斎の本棚が倒壊したままで行方不明だった『旧高旧領取調帳 中部編』(近藤出版社 1977)が無事にみつかったので、遠州城東、山名の2郡を検(あらた)めてみた。
[旧高旧領取調帳データベース]での検索どおり、
山名郡
太馬郎新田 長谷川久三郎分 62石391
豊田郡
船明村 長谷川久三郎分 378石545
は確かに記載されていた。
別に、城東、山名、豊田郡に長谷川源一郎名義の知行地が見つかった。
城東郡
西芳村 長谷川源一郎分 110石085999
予隣村 長谷川源一郎分 238石810
新野村 長谷川源一郎分 151石0424
今村北組 長谷川源一郎分 82石084
下土方村中組森組
長谷川源一郎分 582石499023
下土方村下組
長谷川源一郎分 431石220001
山名郡
西貝塚村 長谷川源一郎分 953石828
東脇村 長谷川源一郎分 114石456
彦島村 長谷川源一郎分 107石682
豊田郡
下万能村 長谷川源一郎分 431石220
立野村 長谷川源一郎分 369石303
この長谷川源一郎なる人物の遠江国における采地を合算してみる。
3170石前後。
『寛政譜』には、長谷川源一郎なる幕臣はいない。
寛政以後に加増されて3000石台になったのであろうとも考え、小川恭一さん編『江戸幕府旗本人名事典 三』(原書店 1989)から、長谷川氏姓で3000石以上の人物を探した。
長谷川久三郎(4071石)と長谷川利十郎(3115余石)で、源一郎はいない。
そこで、『旧高旧領取調帳 中部編』を求めてから初めて、この資料の成り立ちに目を通してみた。
明治政府ができ、地方の役場から書き上げを求めたものとわかった。
とすると、明治になる直前のデータということになる。
寛政から70年ほどあとのものだから、つなごうとするほうがおかしいともいえる。
とりあえず、あきらめることにした。
平蔵の次男が相続した長谷川一族の、これから以後も探索がつづくといいデータの一つとして、書き留めておく。
| 固定リンク
「200ちゅうすけのひとり言」カテゴリの記事
- ちゅうすけのひとり言(95)(2012.06.17)
- ちゅうすけのひとり言(94)(2012.05.08)
- ちゅうすけのひとり言(88)(2012.03.27)
- ちゅうすけのひとり言(90)(2012.03.29)
- ちゅうすけのひとり言(91) (2012.03.30)
コメント
長谷川紀伊守の3人の遺児のうち、末弟の4050石の家はほとんど無視されてきています。
養子にはいった平蔵の次男・正以はどうなったのか、維新後はどう生きたのか、たしかにしらべられると面白い。知行地は上野国から遠江国へ移った分のリサーチも静岡県在住の鬼平ファンの課題ですな。
投稿: 左衛門佐 | 2011.09.09 04:52