〔野槌(のづち)〕の弥平
『鬼平犯科帳』文庫巻1の第1話[唖の十蔵]に登場、逮捕・処刑される、凶悪・無慙な怪盗。
江戸郊外・王子稲荷の裏参道で料理屋〔乳熊屋〕清兵衛として身をひそめていた。
王子稲荷社(『江戸名所図会』 塗り絵師:ちゅうすけ)
王子稲荷社の切絵図(近江屋板) 稲荷の上部が裏参道。
年齢・容姿:どちらも記されていないので、不明。
生国:三河とのみ。で、いちおう、愛知県側としておく。池波さんの家康、信玄、信長についての取材エリアからいうと、静岡県側という線も捨てがたいのだが。
探索の発端:小石川・春日町の薬種問屋〔長崎屋〕が〔野槌〕の弥平一味に襲われ、主人夫婦に息子、むすめ2人、奉公人8人が惨殺され、380余両が奪われた。手引きしたのは2年前に雇われた中年の飯たき女と判明。
火盗改メ方(先手弓第1組・堀帯刀組)の与力・佐嶋忠介の督励にもかかわらず、〔野槌〕の弥平の手がかりはつかめない。
そこで、下っ端からあぶりだせと、密偵の報告で、新鳥越町の小間物屋・下総無宿の助次郎(前の助次郎の項参照)を張り込んだが、女房おふじの手ですでに絞殺されていた。
そのおふじから、一味の〔小川や〕梅吉の存在がうかびあがり、捕らえられた粂(のちの〔小房〕の粂八)の自白により、〔乳熊屋〕清兵衛こと〔野槌〕の弥平の所在が明らかになった。
(参照: 〔小房〕の粂八の項)
(参照: 〔小川や〕梅吉の項)
結末:配下の下総無宿・助次郎が愛人にしていた愛宕下の水茶屋の女お常をつれて故郷の三河(詳細は不明)へ逃亡寸前のところを、鬼平軍団に踏み込まれ、手下5人とともに逮捕。お常をのぞく全員が磔刑。
つぶやき:与力・佐嶋忠介が探索の指揮をとっているとき、堀帯刀から長谷川平蔵へと火盗改メの人事移動があった---とあり、その日付は天明7年(1787)9月19日となっている。
これは、池波さんが『徳川実紀』のみ調べて、『柳営補任』を見なかったための、誤認である。
『徳川実紀』の天明7年9月の項には、長谷川平蔵の火盗改メ任命のみが記されている。これは、火事の多い冬場の火盗改メ・助役(すけやく)への任命であって、本役は依然として堀帯刀が勤めていた。
平蔵は助役であるから、とうぜん、春先に解任される。そのことは[血頭の丹兵衛]冒頭の錯覚文となって記されている。平蔵が本役を拝命したのは、天明8年(788,)10月3日である。その7日ほど前の『徳川実紀』に、堀帯刀が持弓頭へ栄転したことのみが記されてい、火盗改メ・本役除任のことは省略されている。すべての誤認の元は、こここから発しているとおもわれる。
2005.11.17追記:
お幾さんのコメントがヒントになり、鳥山石燕『画図百鬼夜行』(国書刊行会)を図書館から借り出してきて、妖怪「野槌」の図をコピー。
絵の中の添え書。
「野槌は草木の霊をいふ。又沙石集に見えたる野づちといへるものは、目も鼻もなき物也といへり」
池波さんは、形態よりも語感から採用したようにおもえる。
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コメント
『徳川実紀』は、徳川幕府の公式記録といえますが、すべての幕臣の任免を記しているわけではありません。
中級以下の幕臣については、適当に(ということは、無原則に)記述をはしょっています。
しかし、驚いたことに、長谷川平蔵の任免については、ほぼ、完璧に記述しており、『実紀』を編纂した幕府の学者グループが、平蔵に特別な好意を寄せていたことがうかがえます。
投稿: ちゅうすけ | 2005.01.25 09:29
野槌という名前は地名では無いのでしょうか。
大辞林によると蝮や蠍の類、妖怪の一種とあります。
蝮や蠍であれば弥平の名前にぴったりなのですが。
蛇(くちなわ)の平十郎と同じような名前の付け方ですね。
投稿: 靖酔 | 2005.01.25 10:40
〔野槌〕の弥平が凶悪・無慙な怪盗なら、その配下だった粂八も、そういう汚れたお盗めをしたのでしょうか?
文庫巻12[密偵たちの宴]では、レギュラーの五郎蔵、伊三次、粂八、彦十、おまさは、そんな畜生みたいなお盗めはしてこなかった---と書かれていますが。
投稿: 加代子 | 2005.01.25 11:18
加代子さん
いつも、ご投稿、ありがとうございます。
『鬼平犯科帳』は、長い長い連載---というより、読者や編集部の熱望で引きのばされました。
ですから、2期に分けてかんがえるべきです。
前期は、池波さんが「もうやめよう」と真剣にかんがえた文庫巻11あたり(このあたりで史実の長谷川平蔵が没します)。
そして、それ以後の単行本のタイトルに『新・鬼平犯科帳』と「新・」が付せられた以降のもの。
つまり、キャラクターは同じでも、別の物語と考えたほうがいいのかも。
で、伊三次も粂八も、過去を払拭しての活躍と見てあげせんか。
投稿: ちゅうすけ | 2005.01.31 11:42