〔長久保(ながくぼ)〕の佐助
『鬼平犯科帳』文庫巻12に収録の[見張りの見張り]で、お頭の〔万福寺(まんぷくじ)〕の長右衛門が病死、一味は解散したのに、倅の佐太郎が帰ってこない。
東海道・島田宿で古女房で元女賊のお直に小間物屋をやらせていた佐助だったが、倅探索の旅へ出た。
日光街道・草加宿で、同じく〔万福寺〕一味にいた〔橋本(はしもと)〕の万造から、女出入りが原因で佐太郎を殺したのは、これも一味だった〔杉谷(すぎたに)〕の虎吉と告げられた。
(参照: 〔万福寺〕の長右衛門の項)
年齢・容姿:60歳すぎか。上背はあるが、肉づきはたるんでいる。日に灼けた老顔に真っ白な眉毛。
生国:信濃(しなの)国小県郡(ちいさがたこうり)長久保村(現・長野県小県郡長門町長久保)
『大日本地名辞書』(冨山房)には、ほかに下野国塩谷郡長久保(現・茨城県塩谷郡氏家町長久保)が収録されているが、女房に東海道・島田宿で小間物屋をやらせているというから、信濃から大井川ぞいにくだってきて住み着いたと考えられる。
もちろん、下野国の長久保村も候補とはしたが、本拠が上方の〔万福寺〕の長右衛門へは遠すぎる。
『旧高旧領』に載っている美濃国海西郡長久保村(現・岐阜県海津郡海津町長久保)も検討したが、美濃から上方へはらきに出たものが、故郷をとおりすぎて島田宿へ居をかまえるのもいささか不自然だし、池波さんは『旧高旧領』を保有していなかったことも理由として排した。
探索の発端:〔長久保〕の佐助が、偶然にも、本所・相生町4丁目で小さな煙草店をやっている〔舟形(ふながた)〕の宗平の前に立った。煙草を切らしたのだ。
2人はかつて、〔蓑火〕の喜之助お頭の下でいっしょに盗めた仲だったのである。しかも宗平は、佐助の人柄に好意をもっのていた。
(参照: 〔蓑火〕の喜之助の項)
いっぽう、〔大滝〕の五郎蔵は、かつて、〔杉谷(すぎたに)〕の虎吉を配下もしたことがあったが、その性質に嫌気がさして、一味から放出した。
(参照: 〔大滝〕の五郎蔵の項 )
(参照: 〔杉谷〕の虎吉の項)
五郎蔵は、寅吉の女房がやっている品川の蝋燭屋を訪ねて、寅吉との連絡を頼んだ。
品川駅 (『江戸名所図会』 塗り絵師:ちゅうすけ)
結末:五郎蔵の策にひっかかって虎吉は捕らえられたが、佐太郎を殺したのは彼ではなく、〔橋本〕の万造だと分かった。
〔杉谷〕の虎吉は、本郷4丁目の紙問屋〔伊勢屋〕卯兵衛方へ押し入り、一家惨殺に近い殺戮をしたので、虎吉は磔刑。一味は死罪。
〔長久保〕の佐助は、伝馬町で牢死。
つぶやき:けっきょく、〔橋本〕の万造が捕まることなく物語は終わってしまう。
勧善懲悪を期待していた読み手には肩すかし。
「盗っ人として、佐太郎も万造も半人前で、〔万福寺〕のお頭ももてあましていた」という虎吉の言葉で、それだけの者たちに、紙面をさくこともない、と池波さんは考えたか。
池波小説にはめずらしく、万造は、その後の物語にも姿を見せない。
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コメント
[橋本」の万造は捕らわれませんでしたが、「盗人探索日録」に登場する盗人はほとんど
捕縛され処刑される結末になっております。
江戸時代の刑罰について、特にこのブログの盗人達の処刑をリストアップしようとおもっています。
池波さんは「鬼平犯科帳」を執筆する時は「江戸名所図会」「江戸切絵図(近江屋版)」「江戸買物独案内」を手元に置いていたそうですが、江戸の刑罰については、どのような資料を使われていたのでしょうか。
投稿: みやこのお豊 | 2005.04.28 22:52
>みやこのお豊さん
江戸幕府の刑法は、103条あった「御定書(おさだめがき)です。
うち、火盗改メに関係する条々は、ホームページ
http://homepage1.nifty.com/shimizumon/
の、[参考データ]コーナーの「『御定書百箇条』を読む」に解説つきであげています。
長谷川平蔵が扱った犯罪の、評定所への量刑伺いについては、『御仕置例類集』に200例ほど残っています。
もっとも、池波さんが上記の史料を使ったという記録を目にしたことがありません。
投稿: ちゅうすけ | 2005.04.29 04:02
つい先ほど読了しました。
(まだ12巻です)
同じ密偵仲間なのに着けたり着けられたり、面白おかしく読めました。
舟形の宗平が長久保の佐助を売りたくないという気持ちは十分に伝わりました。
自分の仲間や部下を簡単には売らないというのはわかりましたが、寅吉はもっと早く売ってもいい盗賊でしたね。
ただ、寅吉の最後が度胸が座った物言いで何となく許せてしまったのが不思議です。
投稿: 豊島のお幾 | 2005.05.01 19:41