〔牛久保(うしくぼ)〕の幸兵衛
『鬼平犯科帳』文庫巻9に所載の[泥亀(すっぽん)]の主人公は、いまは足を洗って、芝・三田寺町の魚籃観音堂・境内で茶店をやつている七蔵である。店はお頭だった〔牛尾(うしお)〕の太兵衛に、3年前に買い与えられた。
(参照: 〔泥亀〕の七蔵の項 )
(参照: 〔牛尾〕の太兵衛の項)
その〔牛尾〕一味には2人の小頭がいた。〔梶ヶ谷(かじがや)〕の三之助と、この項の当人〔牛久保(うしくぼ)〕の幸兵衛である。2人は、首領の太兵衛が中風で倒れると、残り金をかっさらい、一味を引きつれて去っていったのである。
落ちぶれたお頭の寡婦と目の見えない娘を助けるぺく、七蔵の痔疾をかかえての奮闘がはじまる。
年齢・容姿:どちらも記述されていない。推定だと40男。
生国:三河(みかわ)国宝飯郡(ほいごうり)牛久保村(現・愛知県豊川市牛久保町)
〔牛尾(うしお)〕の太兵衛の生国を、大井川の西岸、遠江(とおとうみ)国山名郡(やまなこおり)金谷宿牛尾郷(現・静岡県島田市牛尾)とみた。その地縁で、三河の牛久保村とした。
武蔵国都筑郡(現・横浜市港北区)の牛久保を外した。
長野県下伊那郡阿南町で「帯川」「門原」を現地取材したとき、遠州街道ぞいに「牛久保」をみかけたが、『旧高旧領』には載っていないから、外した。このほかに「牛久保」があっても、やはり、『旧高旧領』には記載されていないから、除外することになる。
池波さんとの関連でいうと、武田信玄に仕えて川中島の合戦で戦死した軍師・山本勘助が当地の出身である。(参照: 『夜の戦士 上』角川文庫)
当地の浄土宗鎮西派の長谷寺(ちょうこくじ)が勘助の墓所といわれている。
補記すると、江戸期の牛久保村は石高1,567石、寛政期の戸数258と、かなり大きな村で、「周辺の村々が農業を主体とする村であったのに対して、当村は生活必需品を調達する在郷町としての性格を見せていった」(角川『地名大辞典』)と。
上記のような環境で育った〔牛久保〕の幸兵衛は、商才というか、経済的な経営感覚がすぐれていて、その面で〔牛尾〕の太兵衛のよき左腕だったろうが、金銭面を重視するあまりに裏切ったのであろう。
江戸期前から馬市で栄えたという。それでも村名が「牛久保」なのは、もっと前に、金色の清水の湧く窪溜りに牛が臥居していたためと。
探索の発端:〔泥亀(すっぽん)〕の七蔵へ、〔牛尾〕の妻娘の窮状をきかせた〔関沢(せきざわ)〕の乙吉から、ことの次第を聞きとった密偵・伊三次が、鬼平へ報告。
結末:捕縛した〔関沢(せきざわ)〕の乙吉が持っていた50両を、〔泥亀〕の七蔵へ持たせて御油まで届けさせたが、〔梶ヶ谷(かじがや)〕の三之助と〔牛久保(うしくぼ)〕の幸兵衛たちの行方は、けっきょく、わからずじまい。
つぶやき:江戸時代前期、裁きは一事両様---すなわち、仕置きする側の情状酌量で裁決は、きびしくも、やさしくもなしえた。
それが、吉宗のときに、「公事方御定書(くじがたおさだめがき)百箇条」が制定され、裁きは一事一様になり、情状酌量の余地はほとんどなくなった。
鬼平の温情は、一事一様を逸脱しがちである。上からの勤務評定はかなりきびしものであったろう。
ついでにいうと、一事一様の対極にあるのが一事両様。綱吉のころの人情味を生かした裁きがこれだった。
2005年12月5日の取材リポート
豊川から豊橋へいたる飯田線は、昼時は30分間隔というので、名鉄豊川線で豊川稲荷駅に着いたとき、時間節約のために駅前からタクシーで次駅・牛久保へとんだ。したがって、長谷寺への参詣は省略。
駅の周辺は、新興住宅地然としており、単身者用の1DKアパートが3棟建っている。タクシードライヴァー氏の言では、昼間は乗降客がきわめて少ないから、本数も間遠いのだと。
たしかに、電車は1両だけ。これで豊橋へむかった。
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コメント
このブログを偶然見つけました。ブログに啓発されて「鬼平犯科帳」を買って読みました。
こんなに面白いとは知りませんでした。今(四)を読んでいます。
毎日、ブログを楽しみにいたしております。
投稿: てらちゃん | 2005.07.11 19:57
てらちゃん 様
初めまして。
「鬼平犯科帳」は本当に面白く、通勤の往復に読んでいたのが,何時の間にか深く深くはまりこんでしまいました。
24巻何度読み返しても飽きる事がありません
今はブログで毎日新しい知識も得られます。
又ブログでおあいいたしましょう。
投稿: みやこのお豊 | 2005.07.11 21:44