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2006.07.16

〔五鉄〕の位置

『鬼平犯科帳』ファンには、本所の竪川(たてかわ)にかかる二ッ目橋の北詰の軍鶏(しゃも)なべ屋〔五鉄〕はおなじみの店。

橋の北詰はわかった。
それが西側(墨田区両国4丁目)なのか、東側(同区緑1丁目)なのかは明らかにされていない。

熱烈ファンとしては気になるから、現在は二之橋と改称されている橋の北詰へ立ち、あっちかな、こっちかな、と思案する。

手がかりは文庫巻10に所載の[むかしなじみ]の一節。

  二ッ目橋の、五鉄とは竪川をへだてた南詰の林町1丁目
 (立川1丁目)に〔瓢箪屋利助〕という釣道具の店がある。

竪川の対岸が立川1丁目なら〔五鉄〕は二ッ目橋の東側と見ていい。西側の対岸は松井町2丁目(千歳3丁目)となる。

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ニッ目北詰東の〔五鉄〕の位置 赤○(近江屋板)

推理の別の手がかり。文庫巻7所載[寒月六間堀]に、鬼平が飲みすぎて〔五鉄〕二階奥のおまさの部屋へ泊まった翌朝、

  目ざめたときは、もう五ツ(午前8時)をまわっていて、
 窓障子に陽射しがあかるかった。

陽射しが朝日なら、二階奥の部屋は東を向いていることになり、やはり、二之橋北詰の東側でいい。

どうしてこんな些事にこだわるか。人の上に立つ者は、どんなことにも好奇心を持ち、話題をためこみ、勘ばたらきを磨いておく必要があるからだ。

たとえば『江戸名所図会』で亀戸天満宮祭礼の御輿(みこし)行列の絵。

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上・牛車がニッ目の橋に。橋南詰の幟には「本所林町氏子中」
下・幟には「本所ニッ目氏子中」。左上は小浜某の武家屋敷
(『江戸名所図会』より 塗り絵師:西尾 忠久)

2本立っている(のぼり)に「本所林町氏子中」「本所二ツ目氏子中」と記されている。
だから、行列がわたっているのは明らかに二ツ目橋だ。

諸書がこの橋を天神橋としてきたのは誤り、との学術的新発見にもつながる。
左手奥の武家屋敷は鬼平がときどき身をひそめる旗本・小浜某(四千石)邸。

もっとも絵の二ッ目橋北詰の東側に〔五鉄〕はなく、あるのは町会詰所ふうの建物だが。

こんなふうに『鬼平犯科帳』の記述と、池波さんが執筆にあたって座右に置いていた江戸の切絵図『江戸名所図会』を携えての鬼平ワールド探索のコースを70ほど設計、[鬼平]教室のメンバーと散策している。

読者の中で、鬼平もどきに市中を微行してみたいと希望される向きは、鬼平熱愛倶楽部の西坂代表へ、ファクス(〇3-3640-7094)で連絡先をご一報を。

〔五鉄〕 の近くには 〔舟形〕の宗平 〔大滝〕の五郎蔵 の煙草店もある。入江町(墨田区緑4丁目)へは500メートル。

高杉銀平道場のあった法恩寺西の出村町(同区太平2丁目)も5分ほどの距離。

つぶやき:
江戸をかぎりなく愛していた池波さんが読者に望んだことのひとつは、鬼平とともに東京を歩いて江戸を自分のものにしてほしい、だろう。

大きな亀戸天満宮御輿渡御の絵

〔五鉄〕の間取り図

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コメント

昨日、「健康は健脚」からを読んで、早速、「切り絵図」に沿って内藤新宿~大木戸まで歩いてきました。
1人で鬼平の関連場所を探索するのは難しいです。
ちゅうすけさんの設計された「鬼平コース」が、あればもっと有意義な散策が出来たと思います。
今度は「五鉄コース」の探索の仕方を参考に二つ目橋あたりを歩いてみます。
これからも色々なコースを教えてください。

投稿: みやこのお豊 | 2006.07.16 15:57

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