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2007.01.20

西尾隱岐守忠移の内室

遠江国横須賀藩主・西尾隠岐守忠移(ただゆき)の内室は、田沼意次(おきつぐ)の三女である。名の於千賀(千賀姫)。母は意次の正妻ではない。

2006.12.9の当ブログに、意次の失脚後の「上奏文」を掲げた。時宜を得て将軍・家斉(いえなり)の披見を期待したもののようだ。
その文言に、「親族縁座、あるいは義を絶ち縁を絶ち、かつてそのゆえを知ることなくして止みました」といった血涙を流すような一節もある。

それで、意次の三女を正妻としていた西尾隠岐守も、意次の失脚後には離縁したろうかと、疑念が生じた。

1月7日の静岡の[鬼平]クラス(SBS学苑パルシェ)で、受講者の一人---安池欣一さんに、地元なんだから、調べていただけないか、と依頼しておいた。

安池さんは、『大須賀町史』の隠岐守忠移の項を閲覧し、「相良城取り壊しの参加の記述はあるが、田沼の三女の去就についての言及はない」ことを確認。西尾家の菩提寺が龍眠寺であること知り、その伝手で郷土史家・桑原氏と面談。離縁されてないと。

以下の経緯と感想は、安池さんのコメントをそのまま掲出する。


課題について、自分としては結構動いたという高揚感がありますので、自慢話を誰かに聞いてもらいたいような気持で書きます。

1.いつか機会があれば勝興寺を訪問して墓碑を確認できたらとも思いますが、実現しますかどうか。

2.龍眠寺の住職が古文書の研究家桑原氏を教えてくれたのは全くの幸運でした。
桑原氏に会えなければ頓挫していたと思います。

3.桑原武氏について。最近、喜寿の祝いを頂いたそうです。
(大須賀町の)目抜通りに印刷会社を構えて経営されています。
自宅は横須賀城跡の近くで倉庫を改造されたという広い2階に蔵書と資料がありました。
市の関連する古文書の勉強会で指導されているそうです。
西尾家関連の資料は、千葉県の鴨川や東京の戸越(国立の古文書の資料館があるとか)まで行かれて集められたとか。
由緒書や分限帳などの写を見せてもらいました。
歴史勉強の心得なども教えて下さいました。
執筆された文章もあるそうなので県立図書館で捜してみるつもりです。
いきなり電話したり、訪問したのは、厚かましかったのですが親切に応対していただいて、後で考えるとラッキーでした。

4.インターネットによる検索はかなりのことができるものですね。
試しに「西尾家の菩提寺」で検索したら、勝興寺をヒットしました。
但し、適切なキーワードが思いつくかどうか。今後はもっと旨く利用しようと思いました。

5.西尾隠岐守忠移の父は京極若狭守の二男とあります。
京極備前守高久と関わりがあるのか、と調べてしまいました。
また、西尾隠岐守忠移の二代前は老中を勤めるなど名門なんですね。
田沼家との縁談はどんな経緯があったのでしょうか。
それから小梅の西尾隠岐守の下屋敷は先生にいただいた地図をみると鬼平にも何度も出てきますね。
(注:日本たばこ東京工場が[4-7 敵(かたき)]に、南八丁堀四丁目の下屋敷は[9-2 鯉肝(こいぎも)のお里]に。ただし、池波さんは近江屋板の切絵図のミス・プリのまま五丁目としている)

6.今回初めて図書館で寛政重修諸家譜をみたり、由緒書や分限帳をみせてもらったり、これで町誌をふたつ読んだりと、それらしいことをしました。
また桑原氏にも会えました。
名指しで課題を頂かなければ動かなかったことと思います。
有難うございました。今後ともよろしくご指導ねがいます。

                SBS学苑 鬼平クラス受講生 安池

【ちゅうすけ後記】明21日、意次の三女で忠移の内室が葬られている四谷・須賀町8の勝興寺へ詣でてきます。

安池さん。郷土史家・桑原さんの知遇を得られたのですから、桑原さんの郷土史家ネットワークで、掛川藩や沼津藩へも広げられますね。

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コメント

安池欣一さま
先生のたってのご指名での依頼が発端とは申せ、こんかいの鋭敏な探究心で調査されたレポートに驚いています。

向学の精神が次々に実り多く展開されて、示唆にもとんだ内容が伺えその恩恵に預かっています。

安池さまのご自慢話(この表現、ウイットに富んでいいですね)と断っておられますが、西尾先生のご指導を受ける私たち仲間としても大変な誇りとして受け止めております。どうもありがとうございます。

投稿: 永代橋際蕎麦やのおつゆ | 2007.01.20 09:36

安池さんから、大須賀町の史料をどつさり(郵送料390円分)もいただいたので、リサーチが一挙に進んだ感じです。

投稿: ちゅうすけ | 2007.01.20 09:55

田沼意次の失落により、意次の四男・意正を養子としておきながら縁を断ち、実家へ返した老中・水野出羽守忠友は、沼津藩主でした。

この人も、いずれ、精査しなければなりません。そのとき、こんど、安池さんがお結びになった大須賀町の郷土史家・桑原さんのご紹介で、沼津の郷土史家にお世話になることでしょう。

安池さんと桑原さんの出会いの意味は、ほんとうに大きいとおもいます。

投稿: ちゅうすけ | 2007.01.21 04:03

田沼意次の失落により、意次の四男・意正を養子としておきながら縁を断ち、実家へ返した老中・水野出羽守忠友は、沼津藩主でした。

この人も、いずれ、精査しなければなりません。そのとき、こんど、安池さんがお結びになった大須賀町の郷土史家・桑原さんのご紹介で、沼津の郷土史家にお世話になることでしょう。

安池さんと桑原さんの出会いの意味は、ほんとうに大きいとおもいます。

投稿: ちゅうすけ | 2007.01.21 04:05

大名であろうと夫婦は同じ寺に埋葬されるであろうという単純な推論により動き始めましたが、あに図らんや! 再三の幸運に恵まれまして貴重な体験をさせていただきました。犬も歩けばでした。

投稿: 安池欣一 | 2007.01.21 14:48

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