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2007.02.05

松尾喜兵衛の墓所・重願寺の山門

[6-3 剣客]同心・沢田小平次が、師・松尾喜兵衛の仇を討ち、かつて道場があった深川・猿江にゆかりの重願寺へ葬ったことは2006年10月12日に記した。

そして、以下、ファンにとってはどうでもいいような座興として、

<[剣客]は、寛政3年(1791)、平蔵46歳、澤田27歳のときの事件である。
重願寺が現在地(江東区猿江 1-11-15)へ移転してきたのは、寛政7年(1795)で---たまたま、平蔵が病没した年と重なった。

移転前は、新大橋と一ッ目の間にあった。寺地が御舟蔵のために公収された。>

いま浄土宗・重願寺を上記の地に訪ねると、平成12年(2000)に建立された、白木のみごとな四脚門型の山門が迎えてくれる。
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奈良薬師寺の講堂が解体された時、その用材(樹齢400年)を乞い、宮大工の牧野棟梁(足立区)により建立されたもの。

その風趣ゆたかな山門には、地下の松尾喜兵衛師も老剣士には「過ぎたるもの」と、微苦笑しておられよう。

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